遂に復活、早稲田どらま館から飛び立ったすごすぎる劇団達

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早稲田どらま館は、1966年から主に早稲田大学出身の演劇人が所属する劇団の常打ち劇場として数々の芝居が公演されてきていましたが、2012年に耐震問題の為、取り壊されていました。

今年の5月についに、新生 どらま館がこけら落としを迎えます。

早稲田小劇場どらま館 5月7日こけら落とし 平田オリザ氏 アンドロイド版『変身』

改めてどらま館の歴史をふりかえると、日本の演劇シーンを語る上で外すことが出来ない劇団/演劇人たちが活躍した舞台であったと驚いてしまいました。

以下は、「どらま館の歴史」からの引用です。(リンク先は、演劇感想文リンクリンクです)

1966年 早稲田大学自由舞台出身の鈴木忠志別役実、小野碩、高橋辰夫らが劇団早稲田小劇場を結成。同年10月に劇団の常打ち小屋「早稲田小劇場」落成。柿落し講演は『マッチ売りの少女』(作・別役実、演出・鈴木忠志)。
別役や佐藤信の書き下ろし作品や、『劇的なるものをめぐって』シリーズ等を次々と発表し、国内外の注目を集める。

1976年 建物の賃貸契約終了に伴い、鈴木らは富山県東砺波群利賀村(現・南砺市)へ活動拠点を移し、利賀山房を開場。
その後、劇場は「早稲田銅鑼魔館」と名を変え民間経営されるようになる。

1978年 銅鑼魔館開場記念として早稲田小劇場により『サロメ』上演(構成・演出鈴木忠志)。
以降、渡辺守章演出『女中たち』や郡司正勝作『魂祭黙我壷』など第一線の研究者が携わる公演が催された他、加納幸和事務所や千賀ゆう子企画など旗揚げ間もない若手劇団の作品も上演される。90年代に入ると学生劇団の利用が目立つようになる。
拙者ムニエル東京オレンジなど後に実力派俳優を輩出する人気劇団も利用していた。

1997年 早稲田大学が買取り、「早稲田芸術文化プラザどらま館」として学生団体に貸し出すようになる。
三浦大輔らのポツドール長塚圭史らの阿佐ヶ谷スパイダースなどの人気劇団が巣立っていった。
他にも劇団てあとろ50‘、劇団森CAB DRIVER、早稲田大学演劇倶楽部、ろりえなど、数多くの学生劇団に活動の場を提供した。

青山円形劇場など耐震問題で閉館になる劇場が多いのは正直さびしいのですが、この劇場のように歴史ある劇場がリニューアルして帰ってきてくれるのは嬉しい限りです。

既に、プレこけら落とし公演として、ジエン社が「30光年先のガールズエンド」を上演していたりしますが、こけら落とし公演は、5/7日から平田オリザさん演出で行われるそうです。

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