[ 書評]鶴間和幸「人間・始皇帝」 漫画「キングダム」では、分からない始皇帝の実像

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今、一番読んでいる漫画は文句なしに週刊ヤングジャンプにて連載中の原秦久さん作の「キングダム」です。ある意味、今まで悪役としてしか物語や歴史で語られてこなかった秦の始皇帝を、少年王の時代からおいつつ、李信という歴史上の実在人物を主役に、史実を元にしながら熱い物語をつむぐ世界に完全にハマっています。電子書籍で購入しているこの漫画何度読み返したかわかりません。今回は、そんな物語の主人公の一人「始皇帝」についての本を読みました。

人間・始皇帝 (岩波新書)

目次

キングダムの時代背景を読みたいと思い購入しました。

正直、この時代の記録というのは史記ぐらいしかないのかなと思っていましたし、そんなに新事実があるわけでもないだろうと思っていました。が、実は様々な新発見に基づき、著者自ら記述されているというこの本を発見し、読んでみたところ、とても面白かったのです。当然フィクションの部分が多数ある「キングダム」ですが、その元となる事実は、後漢時代に記された「史記」くらいしか無いと思いこんでいましたが、実はまったく違ったようです。

プロローグで明かされる新発見の数々

中学、高校の歴史の授業で、兵馬俑についての記述はありましたが、あれはその時代の発見の端緒でしかなかったようです。

1974年3月、始皇帝陵の東1.5キロメートルの地点で偶然に兵馬俑杭が発見された.<中略>その後も始皇帝陵周辺の発掘と、秦の時代の竹簡文字史料の発見はとどまることを知らない。さらに今世紀に入って2002年には、湖南省の古城にあった古井戸から38,000枚にもおよぶ秦代の簡牘(かんとく)が発見され、<中略>さらに海外に流出した秦代の竹簡762枚と漢代の竹簡3300枚以上がが2010年と2009年にそれぞれ北京大学に寄贈され…(プロローグより)

 中国では、今でも2200年前の竹簡などが、古井戸の底や、お墓の埋葬品の一部として見つかってきており、その中には新事実を表す文書が多数みつかっているようです。
 僕自身、始皇帝による焚書坑儒、三国志時代の項羽による秦の咸陽の炎上等で、古い書物の類はすべて失われているものと思い込んでいたので、20世紀末から今世紀にかけて多くの新発見があったというのは驚くべき事実でした。

長平の古戦場跡が1995年に発掘

六将筆頭(この六将は当然フィクション)の白起が、長平の戦いで趙の兵を四十万人、生き埋めにしたことは、キングダムの前半の話では結構重要な意味を持ちます。始皇帝がその趙の首都邯鄲で生まれたが、その直後のこの戦役のため、始皇帝は幼少時にひどい迫害を受けます(これもフィクション。本当は、富豪のお母さんの実家で匿われてたとのこと)

その戦役の後がなんと発見されていたのです。

この長平の古戦場の史跡が1995年発見された。長平は現在の山西省高平市永禄村にある。十数箇所の人骨抗が出土し…

ぐっと、物語の世界が身近になってきたように思いました。

 

嬴政(始皇帝)のほんとの名前は、趙正?

この本の中では、始皇帝の呼び名は一貫して、趙正で統一されています。嬴は秦の王家の姓ですが、別説では、趙という説もあるようです。名前は、政治の政ではなく正月の正だったとのこと。彼は正月に生まれており、生まれ月から正と名付けられたとあります。
 確かに、生まれたときは人質として敵国に送らていた、王太子でもなんでもない、王の何人もいる子供の一人を父として生まれた子供に、政を意味する名前をつけたというよりも、正月に生まれたから正だったというのもわかります。(趙正と呼ばれた理由も趙で生まれたからという説も紹介されています。)政治の政とつけたのは、始皇帝の生涯を後から俯瞰してみることが出来た司馬遷による創作の可能性が高いようです。

加冠の儀と嫪毐の反乱と流星の関係

当時は、流星の出現は不吉な予兆とみなされており、政治を行う上で大きな意味があったようです。キングダムの中にも、以下のような一コマがありました。

合従軍戦が終わり、蒙驁将軍が亡くなる直前のコマです。

この本によるの、この彗星は、ハレー彗星だったとのこと。ハレー彗星は、天文少年だった僕も見ており、あれと同じものだと想うと、ちょっとこのコマにジーンとした感傷を感じてしまいます。

実は、嫪毐の反乱の年にも彗星が天空にあわれています。この本によれば、民衆がその不吉さに慄く民衆の気持ちを利用して、嬴政は、加冠の儀を遅らせたとあります。嫪毐の反乱を事前に察知し、その乱を討伐する為の準備期間にあてたのです。

昌平君、昌文君は似ているのは名前だけじゃなかった

 名前が妙に似ているのにキングダムの作中では、全く出自や役回りが違う二人ですが、史記ではこの嫪毐の反乱の鎮圧者として初めて名前が現れるようです。


⇒このシーン。ストーリーの転換点として、非常に印象に残っているシーンなのですが、まさかここが、昌平君、昌文君の初登場場面だとは思いませんでした。

秦王は、相邦※の昌平君と昌文君に兵を動員させて嫪毐を攻撃した。この二人は名前はわからず、封号だけが残されている。二人は楚の王族でありながらも秦に仕えていた。(第三章 嫪毐の乱より ※相邦は、キングダムでは丞相とされています

昌文君まで、楚の王族だとは知りませんでした。似ているのは名前だけではなかったようです。

統一後は、秦も、道路建設で国を一つに。

始皇帝の生涯を解説したこの本は、実は統一までは実にあっさり記載されています。統一後も色々あるからな訳ですが、中でも一章を割かれているのが、一大事業として国中を走る道路建設(馳道)をし、行幸したという事実です。

僕が古代史に興味を持つきっかけになった塩野七生さんの「ローマ人の物語」の中でも、ローマが帝国拡大の為の一大事業としての道路整備を行ったということを思い出しながら読みました。

始皇帝の方は、地方への行幸をかなり頻繁に行ないましたが、それも統一の基盤づくり、地固めだったのでしょう。
「ローマ人の物語」でも、ローマ帝国が拡大していくに連れて、道路を拡幅していく様が描かれます。いわゆる「すべての道はローマに通ず」というやつです。

 洋の東西を問わず、国造りの基本が同様のであることも新しい発見でした。(と思いましたが、よく調べると始皇帝の作った道路は皇帝専用道路だったようです。物流の活性化や、軍隊の移動を早くするために作ったというローマの道路とはちょっと違うのかもしれません)

常識とは異なる秦帝国の最後

基本、二世皇帝の胡亥の馬鹿さかげんと超高と李斯の悪巧みが秦帝国を滅ぼしたということになっているわけですが、史記では語られない新たな真実も語られていて、中々統一以降の話も面白いです。胡亥も、この本によれば「12歳で即位し、15歳で短い生涯を終ええたのである」という文章に接すると、かわいそうな感じになります。

また、巻末にある年表も、史記の記述に即しつつ、新発見された竹簡等に記された民衆の裁判沙汰の記録などもあります。
そういった記録から、当時の民衆心理を測り、結果として始皇帝の振る舞いまでも意味づけが変わるというのも面白いものです。(何故、始皇帝が、反乱首謀者の一人である母を助けたかという部分、民衆心理が関係してくるというのは想像できていませんでした)

やっぱり羨ましい。

 ローマにしろ、中国にしろ、紀元前の国の成り立ちの情報が、文献として未だに発見されることに羨ましさを感じます。特に、中国は、漢字と言う現在も使われている中では世界最古といわれる文字体系があり、二千年前の文書を読み解くことが出来るというのはすごいです。
だからこそ、歴史がとても身近に感じることが出来るのだと思います。

 日本だと日本書紀/古事記以外の文書はほとんどなく、あらたな発見も見当たりません。(あるにはあるようですが、偽書疑惑が消えない)
 始皇帝の時代から五百年近く下る邪馬台国の場所さえ、特定できていないし、新たな証拠が発見される気配もない為、様々な解説書が出版され、説が色々に広がっている。
 なんか色々残念だなぁとか思います。

 古墳とか掘れば、実は大発見が日本でも眠っているのだろうか。

ここまで書いといて何ですが、キングダムの先をあまり知りたくない人には本書は勧めません。色々先々の展開がわかってしまうので…でも、そういうネタバレ込で読むなら、なかなか面白い本だったとおもいました。作者は、中国まで取材に行っている本格派の研究者。読んで損はありません。

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