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書評

[書評]ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」衛星目線で人類史を俯瞰する超絶歴史書

投稿日:2017/10/21 更新日:

前半はジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」を思わせます。後半はシンギュラリティまで包含しています。そう考えると本当に「サビエンス全史」の名にふさわしい大著になっています。イスラエル大学の教授という背景を考えるとナチスへの冷静な言及に驚かされました

Kindleで、上下巻合本版を読みましたが、ホモ(人類)属の中で唯一生き延びたサピエンスの歴史全容に心を奪われる名著でした

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人類(サピエンス)は、神話に支配される

この本のすごさは、その俯瞰する目線の高さであり、共通点の見つけ方が面白かったです。前半にこのような記述があります。

紀元前一七七六年ごろに制定されたハンムラビ法典で、これは何十万もの古代バビロニア人の協力マニュアルの役割を果たした。もう一方は、一七七六年に書かれたアメリカ合衆国の独立宣言で、これは何億もの現代アメリカ人の協力マニュアルとして、今なお役割を果たしている

西暦の0年を境にちょうど前後1776年に、かの有名な二つの「ルールブック」が作られたという事実は面白い着眼点です。こういう着眼点の面白さが、この本の真骨頂です

この二つはまったく似ても似つかないような概念を基礎に記載されていますが、著者はその共通点を以下のように定義します。

いずれも「神話」だと

その「神話」が違うだけなのだと。

ハンムラビもアメリカの建国の父たちも、現実は平等あるいはヒエラルキーのような、普遍的で永遠の正義の原理に支配されていると想像した。だが、そのような普遍的原理が存在するのは、サピエンスの豊かな想像や、彼らが創作して語り合う神話の中だけなのだ。

ハンムラビは、ヒエラルキー(人に上下があること)を永遠の正義であるという「神話」を信じ、アメリカ合衆国建国の父たちは平等という「神話」を信じていた。
人(サピエンス)は、想像の産物である神話に支配されるという普遍的な原理が、この本前半の一つのテーマです。

鳥ではなく衛星から人類史を眺める

この本における著者の視点は、ものすごく高いです。その高さから見れば、人類史が一つの方向に向かっていることが明確になるとかたります。この語り口がとても、小気味が良いのです。

鳥の視点の代わりに、宇宙を飛ぶスパイ衛星の視点を採用したほうがいい。この視点からなら、数百年ではなく数千年が見渡せる。そのような視点に立てば、歴史は統一に向かって執拗に進み続けていることが歴然とする。キリスト教の分割やモンゴル帝国の崩壊は、歴史という幹線道路におけるただのスピード抑止帯でしかない

その方向とは、「統一」です。個々の集落から村、国、大陸を超え遂に全地球規模で統一された人類。その流れの描写は、数年前に読んでやはり面白さに夢中になったジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」を思い出しました。

お金の発明。ローマの支配を超えたローマ硬貨の支配範囲

著者のロジックによれば、お金も人の想像の産物。それでも、その支配力は広く、あまねく広がっていきます。その様子の描写も驚きでした。

ローマの硬貨に対する信頼は非常に厚かったので、帝国の国境の外でさえ、人々は喜んでデナリウスで支払いを受け取った。一世紀のインドでは、いちばん近くにいるローマの軍団でさえ何千キロメートルも離れていたにもかかわらず、市場での交換媒体としてローマの硬貨が受け容れられていた。インド人はデナリウスと皇帝の肖像に全幅の信頼を置いていたので、各地の支配者が自ら硬貨を鋳造するときには、ローマ皇帝の肖像に至るまで、デナリウスを忠実に模倣したほどだ! 「デナリウス」という名前は、硬貨の総称となった。イスラム教国家のカリフ(支配者)たちは、この名称をアラビア語化し、「ディナール」を発行した。
「第10章 最強の征服者、貨幣」より

アラブ圏のニュースや情報の中で、耳にする通貨単位のディナールの語源がまさか、ローマ帝国に端を発するとは知りませんでした。確かにお金は、人類最大の「幻想」の一つなのかもしれません。

そういえば、大好きな漫画「キングダム」でも、呂不韋が同じような事を言っていました(笑)

共産主義も宗教。ナチスも…

共産主義の聖典は、「資本論」?。宗教との共通点

個人的には、もっとも腑に落ちたのは、この著者の主張。最近の日本の政治状況は、この考え方に沿えば右も左も宗教勢力に頼る勢力ということになります。

聖書も仏典も、「資本論」も、同じように見るという考え方は納得です。(共産主義の方は、無批判に考え方を受け入れる態度が、宗教的だと感じていたのが僕の考えにフィットしました)

仏教徒と同様、共産主義者も、人間の行動を導くべきものとして、自然の不変の法則という超人間的秩序を信じている。仏教徒はその自然の法則がゴータマ・シッダールタによって発見されたと信じているのに対して、共産主義者はその法則がカール・マルクスやフリードリヒ・エンゲルス、ウラジーミル・イリイチ・レーニンによって発見されたと信じていた。両者の類似性はこれにとどまらない。共産主義にも他の宗教と同じで、プロレタリアートの必然的勝利で間もなく階級闘争の歴史は幕を閉じると予言するマルクスの『資本論』のような、聖典や預言の書がある。

こんな風にいわれると、プロレタリア革命も、弥勒の覚醒も同じレベルの話になります。(笑)

まだ、ソビエトが世界地図に載っていた時代に教育を受けた私は、冗談交じりにプロレタリア対ブルジョアジーなんて二項対立を友達と語っていたこともありました。あれも、宗教なんだよなぁと最近は思い始めました。結果としてなんの根拠もなかったわけだし。(社会学や経済学の難しさでもあるのですが)

平等主義を否定したナチス思想は、進化論のたまもの

平等主義という、現在普遍の原則と私達が信じているものも著者によれば、一神教という西洋の考え方の基盤にあります。平等主義を捨てたのがあのナチスです。

自由主義の人間至上主義と同じで、社会主義の人間至上主義も一神教の土台の上に築かれている。あらゆる人間が平等であるという考え方は、あらゆる魂は神の前に平等であるという一神教の信念の焼き直しにすぎない。従来の一神教と現に縁を切った唯一の人間至上主義の宗派は、進化論的な人間至上主義で、その最も有名な代表がナチスだ。ナチスは「人間性」の定義の点で他の人間至上主義の宗派とは異なっており、その定義は進化論に強い影響を受けていた。ナチスは他の人間至上主義者とは対照的に、人類は不変で永遠のものではなく、進化も退化もしうる変わりやすい種だと信じていた。人類は超人に進化することもできれば、人間以下の存在に退化することもありうるというのだ
〜中略〜
ナチスの最大の野望は、人類を退化から守り、漸進的進化を促すことだった。だからこそ人類の最も進んだ形態であるアーリア人種は保護され育まれなくてはならず、ユダヤ人やロマ、同性愛者、精神障害者のような退化したホモ・サピエンスは隔離され、さらには皆殺しにさえしなければならないとナチスは主張したのだ。

著者が、ユダヤ人であることを考えた時、このあたりの冷静な分析は素晴らしいと思いました。ナチス礼賛とまではいいませんが、彼らの考え方が進化論に沿った「当時としては」ある意味筋が通っているものであったことを認めています。(勿論、科学的には、ナチスの主張に根拠がないことも記述されていますが)

進化論がナチスの思想にそんなに影響を及ぼしたということは知りませんでした

アジアからヨーロッパそしてアメリカに経済の中心が移った理由

著者によれば、アジアはかつて世界経済の中心でした。

七七五年にアジアは世界経済の八割を担っていた。インドと中国の経済を合わせただけでも全世界の生産量の三分の二を占めていた。それに比べると、ヨーロッパ経済は赤子のようなものだった

それが、1950年代には、西ヨーロッパとアメリカに完全に敗北した状態になります。

一九五〇年にはヨーロッパ西部とアメリカ合衆国が全世界の生産量の半分以上を占め、一方、中国の占める割合は五パーセントに減少していた(4)。ヨーロッパの支配下で、新たな世界の秩序と文化が生まれた

この1200年の間に何が起きたのか。著者は塔を作る職人のたとえでそれを解説します。

二人の建築者を想像してほしい。それぞれ非常に高い塔をせっせと建設している。建築者の一人は木と泥レンガを使い、もう一人は鋼鉄とコンクリートを使っている。

最初は両者の工法にあまり違いはないように見える。両方の塔が同じようなペースで高くなり、同じような高さに到達するからだ。

ところが、ある高さを超えると、木と泥の塔は自らの重さに耐えられず崩壊する一方で、鋼鉄とコンクリートの塔ははるかに仰ぎ見る高さまで階を重ねていく。

 ヨーロッパは、近代前期の貯金があったからこそ近代後期に世界を支配することができたのだが、その近代前期に、いったいどのような潜在能力を伸ばしたのだろうか? 

この問いには、互いに補完し合う二つの答えがある。近代科学と近代資本主義だ。ヨーロッパ人は、テクノロジー上の著しい優位性を享受する以前でさえ、科学的な方法や資本主義的な方法で考えたり行動したりしていた。そのため、テクノロジーが大きく飛躍し始めたとき、ヨーロッパ人は誰よりもうまくそれを活用することができた

少々端折ってしまっていますが、本書にはなぜヨーロッパが科学的な方法や資本主義的な方法を身につくに至ったかもキチンと書いております。この歴史的な考察は非常に腑に落ちた部分でした。

AC1500年からの人類の加速


何が加速しているかというと、経済と人口の増加です。

歴史の大半を通じて、経済の規模はほぼ同じままだった。たしかに世界全体の生産量は増えたものの、大部分が人口の増加と新たな土地の開拓によるもので、一人当たりの生産量はほとんど変化しなかった。

ところが近代に入ると状況は一変する。西暦一五〇〇年の世界全体の財とサービスの総生産量は、およそ二五〇〇億ドル相当だった。それが今では六〇兆ドルあたりで推移している。

さらに重要なのは、一五〇〇年には一人当たりの年間生産量が五五〇ドルだったのに対して、今日では老若男女をすべて含めて平均八八〇〇ドルにのぼる点だ。

この要因は、成長への信用という概念の発明です

将来への信頼に基づく、新たな制度が登場したのだ。この制度では、人々は想像上の財、つまり現在はまだ存在していない財を特別な種類のお金に換えることに同意し、それを「信用」と呼ぶようになった。この信用に基づく経済活動によって、私たちは将来のお金で現在を築くことができるようになった。信用という考え方は、私たちの将来の資力が現在の資力とは比べ物にならないほど豊かになるという想定の上に成り立っている。

勿論、信用という概念は近代になって生まれたものではありません。しかし、科学技術の進歩は人類に将来の生産性拡大/パイの拡大を確信させるにいたり、「信用」が経済の拡大再生産を加速させたということです。

過去五〇〇年間には、驚くべき革命が相次いだ。地球は生態的にも歴史的にも、単一の領域に統合された。経済は指数関数的な成長を遂げ、人類は現在、かつてはおとぎ話の中にしかありえなかったほどの豊かさを享受している。科学と産業革命のおかげで、人類は超人間的な力と実質的に無限のエネルギーを手に入れた。その結果、社会秩序は根底から変容した。政治や日常生活、人間心理も同様だ

人類の進歩は幸福を拡大しているのか?

一方で、著者の視点は、サピエンスは、幸福になったのかを追います。確かに人口は増え、人々は飢えることがなくなり、快適な部屋で暮らすようになった。

しかし、それで幸福になったのかと。

たしかに明るい兆しはいくつか見えている。少なくとも、平均寿命、小児死亡率、カロリー摂取量といった純粋に物質的・身体的な物差しで測れば、二〇一四年の平均的な人間の生活水準は、人口が飛躍的に増えたにもかかわらず、一九一四年よりも格段に改善した

長期にわたる幸福の歴史を研究した例はあまりないが、学者だけでなく一般の人もたいていは、幸福の歴史について何らかの漠然とした先入観を抱いている。よくある見方に、人類の能力は歴史を通じて、増大の一途をたどってきたというものがある。

科学革命まで、持てる力と幸福に明確な相関関係はなかった。中世の農民はじつのところ、狩猟採集民の祖先よりも不幸だったかもしれない。

ちょっと、言葉を足さないと行けないかもしれません。

例えば、農業革命の前人類は、多彩な食料を狩猟採集により手に入れていた。気候の変動に多少左右されることがあったかもしれない。その場合は、狩猟採集先を移動していた。しかし、農業革命により食料の多彩さは失われた。土地に縛られた為、気候変動で餓死が簡単に起こった。

科学革命により、人々は様々な快適な生活環境を手に入れた。

しかし、それを知らなかった中世の農民にとって、その生活環境が得られないことを不幸と感じることはなかった。その仕組まで著者は明かしている。脳のセトロニンの力だという。

中世の農民が泥壁の小屋を建て終えたとき、脳内のニューロンがセロトニンを分泌させ、その濃度をXにまで上昇させた。二〇一四年に銀行家が素晴らしいペントハウスの代金の最後の支払いを終えたときにも、脳内のニューロンは同量のセロトニンを分泌させ、同じようにその濃度をXにまで上昇させた。脳には、ペントハウスが泥壁の小屋よりもはるかに快適であることは関係ない。肝心なのは、セロトニンの濃度が現在Xであるという事実だけだ。

想像を超えた未来(シンギュラリティ)の向こう側は想像不能

著者は、人類の未来まで言及しています。しかし、それはあくまでも今の我々が想像できる世界です。

現在進行中のあらゆるプロジェクトのうちで最も革命的なのは、脳とコンピューターを直接結ぶ双方向型のインターフェイスを発明する試みだ。それが成功すれば、コンピューターで人間の脳の電気信号を読み取ると同時に、脳が解読できる信号を脳に送り込むことができる。そのようなインターフェイスを使って脳を直接インターネットにつないだらどうなるか? 

あるいは、複数の脳を結びつけ、いわば「インター・ブレイン・ネット」を生み出したらどうなるか? もし脳が集合的なメモリー・バンクに直接アクセスできたら、人間の記憶や意識やアイデンティティに何が起こるのだろう? そのような場合には、一人のサイボーグが、たとえば別のサイボーグの記憶を検索できる。記憶の内容を耳で聞くのではなく、自伝に書かれているのを読むのでもなく、想像するのでもなく、まるで自分自身の記憶であるかのように、直接思い出せるのだ。心が集合的なものになったら、自己や性別のアイデンティティなどの概念はどうなるのか? どうしたら、汝自身を知ることができるだろう

しかし、それを事前に知るのは難しいかもしれません。筆者は以下のような比喩でその難しさを語っています。

サイエンス・フィクションがそのような未来を描くことはめったにない。なぜなら、それを正確に描こうとしても、当然ながら、私たちの理解を超えているからだ。スーパーサイボーグの生活についての映画を制作するのは、ネアンデルタール人の観客を相手に『ハムレット』を上演するのに等しい

クラクラするような読後感

読み終わった時の感じはまさにそんな感じ。上記は、読む中で気になってハイライトした部分の極一部でしかなくて、本当に何度も読み返したい。

目次は、以下です。
■第1部 認知革命

  • 第1章 唯一生き延びた人類種
  • 第2章  虚構が協力を可能にした
  • 第3章  狩猟採集民の豊かな暮らし
  • 第4章  史上最も危険な種

■第2部 農業革命

  • 第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇
  • 第6章  神話による社会の拡大
  • 第7章  書記体系の発明
  • 第8章  想像上のヒエラルキーと差別

■第3部 人類の統一

  • 第9章  統一へ向かう世界
  • 第10章  最強の征服者、貨幣
  • 第11章  グローバル化を進める帝国のビジョン
  • 第12章  宗教という超人間的秩序
  • 第13章  歴史の必然と謎めいた選択

■第4部 科学革命

  • 第14章  無知の発見と近代科学の成立
  • 第15章 科学と帝国の融合
  • 第16章  拡大するパイという資本主義のマジック
  • 第17章  産業の推進力
  • 第18章  国家と市場経済がもたらした世界平和
  • 第19章  文明は人間を幸福にしたのか
  • 第20章  超ホモ・サピエンスの時代へ

 

以上 ユヴァル・ノア・ハラリ著の「サピエンス全史」の書評でした。

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