【書評】服部真澄「エクサバイト」

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先日来、メガという言葉が流行っています。メガマックにメガ牛丼、ペッパーステーキではメガステーキとか言っていて、CMでは読売新聞がメガ文字になった(なる?)そうです。

メガって言葉の意味が変わっているような気がしますが、流行語ってやつでしょう。

署名のエクサバイトとは正当な意味でのメガの次(ギガ=メガの1000倍以下同様)の次(テラ)の次(ペタ)の次の情報量の単位です。カメラ(米粒大の眉間に埋め込むタイプ)で人生に起きたこと全てを記録する装置時代が到来し、その装置(メディア)を握る企業が一社が握っていた。その記録の死後の保管を巡って新たな企業が現れることで、メディアを抑えている会社の恐るべき謀略が分かってくる。

現在の技術が進めば当然に出てくる近未来の描写は予想の範囲内。個人情報保護など、きめ細かい描写はそうかそうかこうなるよなとおもいながら読んだ。でも、個人の人生体験を全て保管すうという大事業が一企業の力で行われるというのは、少しありえない設定だと思った。話の終盤に出てくる国家規模の関与があったとしても、無理があるなぁと。

僕は、この小説で面白いなと思ったのは、人生の全てが詰まったメディアを遺贈するというルールの必要性が語られていること。これ、そう遠くない未来で問題になっていくのではないだろうか?

メールやBlogなんてもの、会社ではなく個人の所有物ですが、このあたり僕が死んだ後、どのように扱うべきか残された人に言い残したい気がしますし、案外、今のホームページやBlogなんてのも将来歴史家にとっては重要な情報源になるのかもしれません。データマイニングとかがものすごく進歩することが大前提ですが。

歴史Web―日本史の重大事件がホームページになった!

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