[劇評]メジャーリーグ「観客席 2001改訂版」@紀伊国屋サザンシアター

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しつこいまでの観客参加をあおる姿勢は、醒めた現在の観客にも何かを与えたのでは、あるまいか。芝居が終わったとき多くの観客は(僕も含めて)舞台ではなく観客席を見回していたのが印象的だった。

劇団 メジャーリーグ
題名 観客席 2001改訂版
公演期間 2001/05/25〜2001/06/03
寺山修司 演出 J.Aシーザー/根本豊
出演 久世星佳、舘形比呂一、蘭妖子、根本豊、サルバドール・タリ
紀伊国屋サザンシアター(新宿)
観劇日 2001年6月2日(マチネ)

昨今のカップル/家族ずれがでかけるスポットとしては、水族館が人気だが、動物園はとなるといまいち人気が出ないのが現状という話をどこかで聞いた。どちらも自然界のライブを楽しめるスポットのはずだが、動物園は動物特有の「におい」が倦厭されて人気を回復するに至らないらしい。水族館ならば、分厚いガラスの向こうに繰り広げられるライブの世界をそういう観客にとって不都合なものをほとんど気にせずに鑑賞できる。「におい」によってどうしても意識してしまう「野生」の緊張感に耐えられない(受け入れたくない)観客が多いということかもしれない。

よくある商業演劇を水族館に例えるなら、寺山作品の「観客席」は動物園のような臨場感を持っていたように思う。

際限なく続く観客の強制参加の舞台は、観客席の観客に次にどこで何がおこるかという恐怖感のような緊張を強いており、少しづつ客席の雰囲気が変わっていくのを感じた。
演劇が、小説/映画/テレビといったものと決定的に異なるのは「観客席」と「舞台」が不可分のものであり、お互いが影響を与えつづけているということを今回の舞台はメッセージとして発し続けていた。

確かに、デテイルの部分では、館形さんや久世さんのシーンに冗長なものを感じる事もあったが、寺山さんあるいはシーザーさんの考えていたメッセージはそういう芝居になれていないであろう客席(女性の占有率が8割を超えていたのではあるまいか!?)に伝わったのではないかと思う。

非常に突然に、芝居は久世さんの独白と共に終わったが、客席の緊張感は解かれず、ほとんどの観客が周りをきょろきょろ見回していた。
明らかに芝居が始まる前とでは、客席の雰囲気が変わっていた。僕自身にとっても初めての体験だが、観客席を含めた劇場全体を感じるという見方が身についてしまった気がする。
芝居が終わったとき多くの観客は(僕も含めて)舞台ではなく観客席を見回していたのが印象的だった。

全体の構成がもう少し工夫があれば見やすかったかなとも思いましたが、この舞台の目的は果たされたのではないでしょうか。

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