[劇評]オフィスコットーネ「夜、ナク、鳥」@吉祥寺シアター(吉祥寺)

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2002年に福岡で起きた事件を元にしたフィクション。しかし、事件を題材としながら、その事件の異常性ではなく普遍的な狭い人間関係のなかでおこる不信と盲信の極端な葛藤がドラマの主軸にありました。だからこそ、怖い。その物語に果敢に挑んだ演出とキャストの仕事に心を動かされました


劇団 オフィスコットーネプロデュース
題名 夜、ナク、鳥
公演期間 2018/02/172018/02/24

大竹野正典

演出 瀬戸山美咲
出演 松永玲子 :ヨシダ(みんなにお金を貸している)
高橋由美子:イシイ(子供を抱えて、働かない別居中の夫がいる)
松本紀保 :ツツミ(新薬の臨床試験の担当)
安藤玉恵 :イケガミ(鹿打ち好きの借金を抱えた男に悩まされる)
政岡泰志 :ヒデキ(ヨシダと共に暮らす)/執刀医
成清正紀 :ゴウ(イシイの夫)
井上幸太郎:エイジ(鹿撃ち好きのイケガミの家にいる男)
藤井びん :ミチロウ(腎臓のガン患者)/隣の人
劇場
吉祥寺シアター(吉祥寺)
観劇日 2018年02月24日(マチネ)

物語

ヨシダ(松永玲子)、ツツミ(松本紀保)、イケガミ(安藤玉恵)、イシイ(高橋由美子)の4人の看護婦は、お互いに友達関係だと思っており、一緒に住むマンションを買う話をするほどの仲。夫と別居をし、子供を育てるイシイにも、マンションの購入を促されるが、彼女にそんな余裕はない。謎の無言電話に悩まされていた彼女は、ヨシダに助けられる。仲は深まり、職場の同僚以上に深い関係になっていく4人。その彼女たちを悩ませる周りの男達。イシイはあるとき、別居中の夫が大金をヨシダに借りていたことを知り、絶望する。その彼女に他の3人は、既にイケガミも経験済みのある方法を薦める

オフィスコットーネ三回目の観劇

オフィス・コットーネは、最初は唐組の稲荷卓央さんが出るという理由で観に行った「密会」から数えて3作品目。いずれも大竹野正典さんの作品でした。元々実在の事件を元にしている脚本ばかりでしたが、今回の舞台は何度か過去に足を運んだ転位21の舞台ににているところがあるなと思いました

過去の2作品で感じなかったのに、この作品で感じたのは事件の中に、ドロドロとした人間関係が見えていたからだとおもいます

女は怖い?

終わった後で、即感じた感情は「女は怖い」でしたが、すぐに思い直しました

自分が男なので、自分のコミュニティを守るために一度は愛したであろう男に手をかける女たちの姿は表層的には怖いと感じてしまいますが、これはもっと普遍的な怖さが感情にあらわれてきただけ

本当に怖いのは、おそらく「人間」なんだと思いました

バクテリアも人も同じ。自分が生きるために他の存在と闘い、殺す

そういった意味で、作中で何度かヨシダ(松永玲子さん)が話す、バクテリアと人間を同一視する台詞に心をえぐられました

人間と動物は同じという言い方はよくありますが、バクテリアという下等生物と人間を同じとみなす言葉に、ヨシダの異常性と説得力が潜んでいたように思います

勿論、バクテリアという言葉は、看護婦(時代的にはまだこの言葉だったんだなぁ)という職業柄、彼女たちの職業上の敵であるという意味で馴染み深い言葉だったのだと思いますが

そういえば、ヒデキ(政岡泰志さん)が、春日大社の鹿を撃つ事を正当化する台詞の中にも、生きるために他の存在を殺すことへの正当化をする台詞がありました

この物語の根底にあるテーマなのかもしれません

とても小さな世界の君臨者と奴隷たち

この物語の世界において、女たちの結束は着々と高まり、元々彼女の個々人とは近い存在であったはずの男はバクテリア同様に彼女たちの敵へと変貌していきます

自分の世界と外の世界との境界線は、びっくりするほど簡単にできあがる

夫よりも、友達を信用し夫の言葉をハナっから否定するイシイの言葉は、そこまで彼女を取り乱させるヨシダの怖さを印象づける一方で、人が何かを盲信する時に起こる、別の存在への極端なまでの不信が浮き彫りになっていました

結論として、この脚本は実在の事件に材を取りながら、ものすごく普遍的な人間の恐ろしさを1時間50分という短時間と8人だけの出演者で表現する超のつくレベルの傑作戯曲だと思いました

女優の発火するほどに熱い演技

最初にこの舞台の座組みをみたときに、キャストが豪華すぎる気がしました。しかし、この戯曲に立ち向かうためにはこの女優陣の力を最大限に引き出さなければならないことをまざまざと感じました

そして、まごうことなくその試みは上手く行っていたと思います

松永玲子さんの演じるヨシダはけして居丈高でもなく、むしろ気の弱い/お人好しのキャラクターとして描かれ、だからこそ後半の威圧感との落差が印象に残ります

また、追い詰められる高橋由美子さんも、本当に普通の母親であり、妻であり、女であるキャラクターからラストシーンに迎える覚悟というよりも心を失ったような状態になる感情の表現がものすごくて、彼女の激高も絶望も悲しみもすべてが客席全体を覆い尽くします

患者(藤井びん)に対して、天使のごとく接し、彼が死んだことに対してショックを受ける職業に忠実な松本紀保さんの生真面目なキャラクターが、殺人を犯す場面でも真逆の方向でありながらやはり現れており、それが事件の異常さを物語ります

人を救うはずの看護婦が、次々に夫を保険金目的で殺すという事件の異常性を一人で体現しているのが松本紀保さんでした

ある意味既に一線を超えた女を演じる安藤玉恵さんの演技も、不安定さが常に見え隠れしていて、ふわふわした彼女たちの関係を体現しているように思いました。そして、彼女が最後に毅然として高橋由美子さんに迫る部分で、この4人の関係性が確かに変わったことを観客に印象づけました

なぜ関西弁?

元々福岡で起きた話で、主要キャストの氏名も実名を使いつつ、舞台は大阪に移し替えられ、キャストも全員関西弁でしゃべります

勿論、脚本家の大竹野さんは、関西で活動していたくじら企画の座付き作家であり、くじら企画で上演された時に関西弁で演じられたからだろうというのは、容易に想像がつきました

しかし、今回のキャストの大半は関西弁が得意なわけでもないキャスト(松永さんは大阪出身ですが)で、なぜわざわざ大阪弁をつかわせるのかと、当初は演出意図に疑問を感じていました

が、途中で自分なりに、関西弁でなければならない理由に合点がいった気がしました

当初の友達関係は、やがて、お互いの心の奥底に踏み入れる台詞が連発されるようになっていくこの脚本において、大阪弁でないと成り立たないものであると途中で感じ始めたのです

当初、演出意図への疑問もあり、台詞を無意識に頭のなかで標準語に翻訳する作業をしながら、観ていたのですが(我ながらもっと集中しろと思うが)、途中からそうすると、舞台上のキャラクターほど心の中に踏み込める台詞にならないと感じるようになってきました

勿論最初から脚本を書き換えるならば、成立させることはできたかもしれないが、この物語の世界を成立させるためには関西弁が必須になっていると感じました

確かにこれでは脚本をいじれないんだなと納得した

題名とナイチンゲール

上記も含め、大竹野さんの言葉選びのセンスには、今回様々な所で感銘を受けた

題名である「夜、ナク、鳥」にしても、芝居の中で語られるように欧米で「ナイチンゲール」と呼ばれる鳥とのこと

ナイチンゲールは、nightingale=night+galeという意味で夜にきれいな声で歌う(鳴く)という言葉が語源らしい

昼間活動することが多い鳥類の中で、珍しく夜に活動をする鳥、そしてこの物語の女たちも夜に彼女たちの恐ろしい策略が実行に移される

そして、偶然にもナイチンゲールと聞いて、日本人は(日本人以外もそうかもしれないが)有名な看護婦を思い出す

どこまで脚本意図がわからないが、この題名以上にこの脚本にマッチする題名はないように思う。大竹野さん、ご存命のうちに知りたかった脚本家さんだなと改めて感じました

本物の事件とはかけ離れているが、だからこそ逆に真に迫る

当日配られた配役表にある初演時の大竹野さんの言葉によれば、この脚本が書かれたのは事件(2002年)の翌年の2003年

だからこそ、事件を題材にしながらも多くの部分は想像とフィクションで埋められたのだと思う

時間がたった今であれば、この事件について多くの記事をネットでみつけることができるし、ノンフィクションの本も出ている

でも、そういったものが揃った後でも大竹野さんはこのように事件を捉え、この脚本を書いたんだろうなと思った

以上 オフィス・コットーネプロデュースの「夜、ナク、鳥」の感想でした

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