安倍政権は、政権を維持することが、政策を実現することより優先していないか?

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と思うことが多い。手段と目的の倒錯という古典的な問題が政権に起こっているように思える。個人的には、安倍政権が実現しようとする多くの政策には期待するものの方が多い。一方で、特に昨今の政権の対応はドタバタが多いのも相当気になる。

目次

国家戦略特区のドタバタ

もともと、国家戦略特区というのは、省庁の壁を取り払い、機動的に政策を実現する手段として制定されたものなのに、いまや政策実現を阻害するものに成り果てている。以下のフローレンスの駒崎さんのブログ記事を読んでいて、モヤモヤが倍増しました。


内容には同意できる所が多数あり、是非読んでほしいです。特に、以下の部分はまさにそのとおりと頷きながら読みました。ちょっと長いですが、引用します。

 以上国家戦略特区を擁護してきた僕ですが、腑に落ちないのは安倍政権の姿勢です。

国家戦略特区が安倍総理をトップとした改革のツールであること。だから、「官邸の最高レベルが言って」いても何ら不思議はないこと。改革を渋る文科省を急かしても問題ないし、特定事業者ありきで話が進んでいたとしても、そもそも規制に挑む事業者は少ないので、そこも問題ありません。

こうしたことを、しっかり安倍総理の口から説明すれば良いのではないでしょうか。

にも関わらず、文書をないと言ったり、文科省の元事務次官の、出会い系バー通いという、全く本件とは関係なく、また問題ない行為を読売新聞に報道させたり、と言った「不透明さ」やなんとなくの「横暴さ」が、国家戦略特区を不当なシステムとして印象付けてしまっています。

正面から、「我々は何も悪いことはしていない。法律にも触れていない。文書も出します。官邸の最高レベル?何が悪い。だって責任者は私ですから。獣医師新設の妥当性?犬猫のペット医は収入も良くて足りてるけれど、公衆衛生と産業用動物の獣医師は不足しているんです。特に地方でね。獣医学部がない空白地帯で、長年リスクかけてやってきた事業者がいて、その妥当性はこうで・・・」と説明すれば良いのです。

そこに突っ込みどころがあれば、不透明なところがあれば、野党が突っ込んでいけば良いわけです。

先日、テレビで松本人志さんも「殴り合いの喧嘩でいきなりパンツ脱がしにかかっている」なんて言っていましたが、まさにその通りで、正々堂々やらないから余計に話がややこしくなっています。

上記、駒崎さんの記事中にもありますが、その為に、民進党が国家戦略特区を骨抜きにするような法案を提出したり、国家戦略特区の他の検討も含めて全てストップしてしまったりして、まったく意味が不明な状態です。

「突っ込みどころや不透明なところ」を突かれる恐怖におびえているのかもしれませんが、それで困る(ようなことをしていたのであれば)のならば、政権運営を次の誰かにきちんと引き継げば良いように想うのです。政権を守るために、汲々とすることにより政策実現が滞るのは本末転倒ではないでしょうか?

自衛隊合憲化のドタバタ

思えば、安倍政権はこれまでも、こういうドタバタ劇が多いように感じます。今年の5月の自衛隊の合憲化の実現時期を明かした方法もけしてスマートとはいえませんでした。

個人的には、自衛隊の合憲化についての議論はあってしかるべきと思いますが、一国の首相が割りと私的な会議(民間憲法臨調)で、ビデオメッセージで発信するというのが適切なやり方だったのかはかなり疑問です。さらに、それについて国会で突っ込まれて、新聞を読めというのも解せません。

行政の長である首相が、改憲を語ってはいけないという論説も読んだことがありますが、それでは何処の国も憲法の改正なんて出来ないように思います。

一方で、日本以外の国では、改憲は普通に行われています。

あるべきは、きちんと国会において議論をすべきだと思いますし、それを避けるような言説や手法で時の首相がこの問題を扱うのは、やり方として間違っていると思います。

安倍首相にとっては、憲法改正は悲願とも言われています。そうであるならばこそ、正面からこの問題について取り組んで欲しいと思います。

ちなみに、僕自身は9条は、削除してしまい、戦争の可否は時の政権に委ねるという方がシンプルな気がします。(民主主義の確立・存続及び立法者を含む全国民が戦争時に徴兵制によって戦争参加が義務付けられれば、むちゃくちゃなことにはならないと思います。)

もしあなたが自分の理想を 、聡明な一二歳の子どもにうまく説明できないのであれば 、おそらく原因はあなたの方にある 。

今読んでいる本の終盤の一節だ。色々言いたいことは政権側にあるのはわかる。それでも、政権はあたふたしないで、落ち着いて議論をして欲しい。

説明責任を果たしてほしい。

変えられないものは、何か。

私の好きな言葉に、ニーバーの祈りがある。

神よ、恩寵を私に与えて下さい
変えられないものを静穏に受け入れるために
与えて下さい 
変えるべきものを変える勇気を
そして、変えられないものと変えるべきものを
区別する賢さを私に与えて下さい

政権は、変えられるものと変えられないものを取り違えているように想う。
ある意味、好奇心本位で枝葉末節に注目し報道するマスコミも、ここぞとばかりに、政策実現効果や人々への効果にかかわらず、ただ政権批判のためだけに、無用な法案まで提出する野党を変える力は政権にはない。

変えられないものを受け入れ、変えられるもの、変えるべきもの(官僚の抵抗にあらがい、大胆な政策を実現すること)に集中して欲しい。

神の恩寵が、政権にもあらんことを祈る。(あーめん?)

憲法9条削除論!?

文中の考えは、僕の考えではなく以下の本の一節の受け売りです。一番、わかりやすい考え方だなと思います。
以下は、井上達夫さんの「リベラルのことは嫌いでもリベラリズムを嫌いにならないでください」の一節です。

憲法と安全保障
私は、憲法九条を削除せよ、と主張しています。 <中略>だから、私は九条削除論者で、その意味は、安全保障体制の選択を民主的プロセスにゆだねろということだけど、そのとき、条件づけ制約を憲法は取り込むべきだと思っています。  それは、もし戦力を保有するという決定をしたら、徴兵制でなければいけないと。かつ、その徴兵制で、良心的兵役拒否を認めなければいけない、と。これを、条件づけ制約として憲法に入れるべきだ、という意見です

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