劇団 | 劇団サイドビジネス | ||||
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公演期間 | 2014/02/07~2014/02/09 | ||||
演出 | 渋村晴子 | 作 | J.B.Priestley | ||
出演 | 阿南さとし、木村由起子、こもりよしこ、渡部聡、田處善久、中川マサヒロ、山本権蔵 |
目次
概要
アングラな演出で、イギリスの名作戯曲を上演する際どい試みは、正統派の演出とはひと味もふた味も異なる作品世界を作れていたと思いますが、演出意図のケレン味を発揮するほどの完成度には至らなかったのは残念でした
付き合いの長い劇団が、何度か他劇団で上演された(俳優座、シス・カンパニー)のを見たことのある戯曲上演しました。
好きな話であり、見知った役者と演出家がどう調理するのか、楽しみにして見に行きました
二時間の舞台をあまり長いとは感じませんでした。改めて見て難易度の高いこの戯曲に、正面から向き合った演出と熱演の成果だったと思います。
おそらく制作上の限界で原作とはキャラクターの位置づけを変えた執事と叔父の演出はうまく行っていると思いました
特に、原作では、過保護に育てられた貴族の未成熟な青年という役を、年のいった叔父に置き換えた脚色/演出は、物語の大きな流れや構造を変えないで見事に演じ切られていました。
表情や話し方を含め、かなり繊細に作りこまれた演技をこなした役者(田處さん)の力量はすごいとおもいました。(ちょっと踏み外すと共感できない性格破綻者になってしまうようなところをギリギリで持ちこたえたという印象でした)
とはいえ、過去に見た俳優座版とシス・カンパニー版とのあまりの演出の方向性の違いにかなり戸惑いました。
ドアとソファだけの抽象舞台に、高い階級の貴族の家系の人たちが「絶対着ないような」原色の衣装。外国人の名前で双方を呼び合っているが、衣装や振る舞いからはどこの国なのかまったくわからない国籍不明の舞台設定。ドドメは、舞台の間中続く出演者のハイテンション&(鈴木菜々オーバーアクションな演技。登場人物が誰一人として、上流階級の人間であるという印象を客席に与えられていないと思いました。
明らかに、原作戯曲を普通にやる方法論からはずれている演出に戸惑い正直何がしたいのかを読み解くにの随分考えこんでしまいました。
この作品は、英国の前世紀初めての階級間格差に対しての怒りのようなものが話の根底にあり、警部(inspector)がその怒りの象徴のようにして現れるのですが、そういうところに演出のフォーカスがあたっていないように感じました。
一言で言えば、「アングラ演出」でした
現実感よりも作り物という感覚を前面に押出し、終始ハイテンションに客席に役者を印象づける演出で、その試みがうまくいけば、客席を含んだ異空間を作り出し、印象的な舞台になっていたと思います。
役者の熱演にもかかわらず、どうやらその演出効果は僕が見た回では客席を巻き込むには至らなかったと思います。そうなると、舞台上の役者の演技と、脚本が求めていたものの乖離は、見るほうにつらく感じられるものでした。
特に「威厳」 があるからこそ、この芝居の要となる主人の役が最もアクションが多かったのは見てて疲れてしまいました。
青年団のように全く客席を意識しない演出ばかりががいいとは思わないのですが、会話の端々で、(誰か特定の俳優というよりは、出演者全員が)やたら客席に向かって話すのはちょっとやりすぎだと感じました。(上記のうな意図があったにせよ)
結果として芝居全体での「ここぞ」というときに客席に訴えかける台詞も生きてこない、メリハリの乏しいものになってしまっていたように思いました。(僕として残念だったのは、警部が去り際に話すセリフのところが、「ここぞ」だったのですが、そこで何も感じられなかった)
女優陣と若手(フィアンセ役)の3人は、非常に安定感のある演技でした。特に母親役の木村さんの存在感、フィアンセ役の渡部さんの軽やかさは、格別で、別の舞台でも見たいと思いました。
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