[書評]福井義高「日本人が知らない 最先端の「世界史」」

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なにが最先端かというと、参考資料が、新しいこと。特に、ソ連崩壊後に旧ソ連からだけでなく、アメリカからもそれまで国防上の理由で門外不出だった資料が大量に参照されています。
歴史は政治的な部分もありなかなか正解と断定できない事柄も多く、どうしても各国各様の歴史観を持っているものと思います

最先端だから、正しいとかそう言い切る気持ちにはなれません。とはいえ、新しい資料や欧米目線の歴史認識に触れることは、特定アジアの歴史認識について、辟易としている身としてはなかなか新鮮な経験でした。
以下、特に印象に残った事実について感想を印します(本書は広範にわたる歴史認識について印されており、以下の感想を記載した以外にも多くの刮目すべき事実が記されています)

目次

欧米人を凍らせる日独同罪論

(「第一章 日独同罪論をめぐって」より)

第二次世界大戦における枢軸国、とりわけドイツと比較されて日本が謝罪が足りない。と中国や韓国から言われます。南京大虐殺の規模についての議論や、従軍慰安婦問題の真偽など色々論点はありますが、この本で指摘されるポイントはもっと根本的なものでした。

日独同罪論は、日本が反論しなければならないのはもちろんのこと、そもそもホロコーストの唯一性という欧米及びイスラエルにおける正統的歴史認識に挑戦する側面を持っており、とくにドイツ自身、米国及びイスラエルにとって容認できない議論に思える。

アウシュビッツに象徴されるホロコースト(ユダヤ人虐殺)は、欧米においては容認できな「絶対悪」であり、戦争犯罪というカテゴリーには含めることがさえも、冒涜的だと感じるようです。

 「南京大虐殺」や「慰安婦強制連行」に関する中韓の主張が、おおむね真実だったとしても、ホロコーストとは質量ともにスケールが違い過ぎ、

そして、

 中韓のみならず、日本の自称リベラルにも見受けられる日独同罪論者は、欧米で極右視されかねない、ホロコーストを相対化する、新たな歴史認識を確立しようとしているのだろう

ということなのだそうです。

このような見方をしたことがなく、僕にとっては新しい考え方でした。

スターリンの掌で踊る世界。特に、日本orz

(「第五章「コミンテルンの陰謀」は存在したか」より)

今まで僕自身は、コミンテルンやソ連の暗躍により歴史が作られたという話には、眉唾で聞いてきました。僕のイメージの中でのソ連にそれほどの影響力があるとは思えず、過大評価だと思っていました。まさに、以下のような言説です。

 20世紀前半の日本の歴史に、ソ連と共産主義が多大な、場合によっては決定的影響を与えたとする歴史認識は、保守言論界において根強いものがある。  それによれば、支那事変は、日本軍を中国に釘付けにして国民党との戦いで疲弊させ、弱体化を図ることで「北進」を妨げ、ソ連を間接的に防衛するとともに、国民党に追い詰められていた中国共産党を助けるために、国内外のコミンテルンの工作員が策動して、始められたとする。そして、度重なる日本からの停戦の試みを妨害することで、日本に何の益もない泥沼の戦いを強いた。

しかし、僕の受け止め方は既に古い常識のようです。ソ連崩壊後に公開された様々な史料により今や

共産主義者が世界共産革命実現を目指す上で、謀略工作あるいは陰謀を主要な手段のひとつとしていたことは、否定できない事実である。近年、世界各国で進められている、ソ連崩壊語の資料公開に基づく研究が、そのことを疑問の余地なく明らかにした。

という状況なのです。では、ソ連はどのようにしてそれを実現したのか。小説さながら、エージェント/スパイが活躍していたというのです。

支那事変が勃発した1937年夏の時点で、日本と満洲国には2000人の明らかなスパイと、5万人のエージェント(本人に自覚がない場合も含む)がいると日本政府は見ていた。

のけぞりそうになる数字です。

あの、悪名高い治安維持法も、ソ連のエージェント/スパイに対応するために当時の政府としては避けることのできないものだったといいます。

そもそも共産主義勢力との『冷戦』を早い時期から開始していたのは、他ならぬ日本であった。それが開始されたのは、一九二五年、日本がソ連との国交樹立に伴い、治安維持法を制定してからである。モスクワのコミンテルンの指導に忠実に従った勢力によってなされる反体制運動に対しては、もはや従来の治安法規では対処できないと考えられたのである

スターリンは、日本が北進することを本当に恐れており、中国との泥沼の戦争に導き、アメリカとの戦争へと突入させられた。その後の事を考えると暗い気分になります。

日米ソの合作としての中華人民共和国

(「第11章 毛沢東はスターリンの傀儡だった」より)

ソ連崩壊と前後して、ロシアだけでなく中国でも文書公開が進み、これまで知られていなかった、スターリンと毛沢東の蜜月ぶりが明らかになった。要するに、蔣介石が米国の、汪兆銘が日本の「傀儡」だとすれば、毛沢東はソ連の「傀儡」だったのだ。

なんとなく、仲が悪い印象の中ソですが、スターリンと毛沢東は、兄弟のごとく通じ合っていたといいます。

ただ、ソ連のみが中華人民共和国を助けたわけではないようです。米国の中枢に入ったエージェントは、ルーズベルトの確約に反し、蒋介石の国民党を援助することができず、側近はその現状に歯がゆさを吐露します。

ルーズベルト大統領がカイロ会談で、個人としても国家としても、蔣介石に全面支援を確約したことを私は知っている。しかも、大統領は本心からそう言ったのだ。(中略)ところが、大統領とその計画の間に、何かがあるいは誰かが立ちはだかっていた。(中略)何が起こっているのか、なぜ我々は蔣を助けないのか、大統領は明らかにしようとしていた。しかし、その死後、この問題は立ち消えとなってしまった

1995年にアメリカが公開したソ連の暗号電文を公開した「ヴェノナ文書」によれば、

冷戦終結後、ヴェノナ文書をはじめ各国で秘密文書の公開が進み、ルーズベルト政権中枢にスターリンの工作員が多数浸透していたことが、疑いの余地なく示された。スパイたちは機密情報をソ連に伝えるだけでなく、米国の対外政策にも影響を及ぼしていた。

ことがわかっています。蒋介石への支援は、毛沢東の「兄」スターリンにより阻害され、毛沢東は力を伸ばしていったのです。

 

そして、日本も、毛沢東の政権奪取には欠かせない力だったのです。戦後毛沢東自身がそう語っているのです。

毛は、日本社会党の訪中代表団の佐々木更三の侵略謝罪発言にこう返答した。「

何も申し訳ななく思うことはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益もたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。みなさんの皇軍なしには、我々が権力を奪取することは不可能だったのです。」

日本は、数々の失策で、毛沢東の危機を救います。特に、蒋介石との絶好の和解の機会をフイにした近衛文麿の失策は、決定的だったそうです。

日本にとって、国民政府とソ連の関係が悪化し、国共対立が激化していた1939年後半から、ルーズベルトの対日姿勢強硬化と相まって、米国の国民政府支援が強化される前の1941年初頭までの間が、蔣介石と妥協する千載一遇のチャンスであった。陸軍中枢も戦争長期化による国力疲弊を憂慮し、1940年初めには、一部兵力の自主的撤兵を検討していた。実際、毛沢東はこの時期、蔣が日本と妥協し、再度「剿共」に専念することを何よりも恐れていたのだ。にもかかわらず、支那事変拡大の時と同じく、国民政府との和解の道を閉ざしたのは、軍部というより近衛首相であった。

汪兆銘政権の承認により、日本と国民党の溝は決定的となり、共産党は力を蓄える時間を与えたのです。

まさに、米ソ日の合作により誕生したのが毛沢東の中華人民共和国だったわけです。皮肉な話ではありますが。

中華人民共和国成立こそが戦後日本の復興の原動力

(「第13章 中国共産党政権誕生に果たした米国の役割」より)

最近の中国の横暴ぶりを見ていると中華人民共和国の成立は、日本にとっては災厄だったと感じてしまうのですが、その考え方も違っていたようです。

しかし、対米戦争に敗れた日本にとって、蔣介石ではなく毛沢東が中国大陸の覇者となったことは、ある意味「幸運」であった。中ソ同盟という強大な反米共産主義ブロックに、日本が最前線で対峙することとなったため、米国の世界戦略における日本の位置づけは、占領初期とは根本的に変化する。当初の軍事・経済両面における徹底的弱体化政策は放棄され、東アジアにおける最重要同盟国として、日本再興が米国の基本方針となった。

勿論、日本人の努力はあったわけですが、戦後日本の復興にアメリカが果たした役割は大きいですし、もし蒋介石政権が中国大陸で民主国家を築いていたら、日本の今の経済的な復興はなかったのかもしれません。

 

かいつまんで内容を引用しながら書きましたが、他にも色々(なぜ従軍慰安婦問題がアメリカメディアで未だに取り上げられるか、米国におけるソ連スパイの活躍によるソ連原爆開発への影響、そしてそれがアジアの戦後史に与えたインパクトなど)、目からウロコの視点で語られる論調は明快です。

色々考えさせられる事が多い刺激的な本でした。

 

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