[書評]新井紀子著「AI vs 教科書の読めない子どもたち」@東洋経済新報社

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かなり話題になっていた本だけに、読みどころが満載です。特に、著者がすべて自ら率いて実験、情報収集をすることによって求められた実績によって語られるAI論そして教育論は実が伴っていて、他のAI論の書籍に比べて圧倒的な説得力のある論理展開になっています。それ以上に印象的なのは、そのAIと将来ともに働くことになる子どもたちの読解力の問題についての危機感です。最近の中高生に対しての調査ですが、30年以上前の私自身の経験もそれを裏付けているように思いました
【2019年ビジネス書大賞 大賞】AI vs. 教科書が読めない子どもたち

目次

東ロボくんプロジェクトは半端ないプロジェクトだった

東大に合格できるAI(人工知能)を開発するというプロジェクトの指揮者であった著者の名前も、このプロジェクト(愛称 東ロボくん)も前から知っていた。そしてそのプロジェクトが東大合格レベルに達することなく終わったことも。しかし、この本を読むまではプロジェクトの目的も、その後の著者の取り組みについてもまったく詳しいことを知りませんでした

また、東ロボくんプロジェクトにおけるチームの取り組みの大規模さ、複雑さを僕は、相当あまく見ていたことがよくわかりました

正直アメリカでワトソンがジョパティ!というクイズ番組で勝利したあとで、東大に合格するAIの構築なんてそれほど時間がかからず実現するだろうと思っていたので、プロジェクトが途中で頓挫したのも、予算がたりなかったとかそういう理由だとおもっていました

しかし、著者の説明でそれは2つの点で僕がまちがっていたことがわかりました

  • ジョバティ!と東大試験(というか大学試験)とはけして同じアプローチでは解決できない問題であったこと。それどころか、試験の科目毎(極端な話同一科目でも、問題の種類ごと)に問題を解かせる為の人工知能の開発アプローチが変わること
  • 東ロボくんが偏差値57.1(MARCHクラスの大学に合格できるレベル)まで到達しながらプロジェクトが解散したのは、予算や期間の問題ではなく、そこに「AIの限界」があるからです。そして、その限界を明らかにすることこそが、このプロジェクトの目的だったのです(そういう意味では、プロジェクトは成功裡に終了しています)

アプローチは本当に様々で、正直最近のAIが全て深層学習(ディープ・ラーニング)に終始している感があるなかで、様々な誤解を解いてもらいました

AIにできること。できないこと

AIが稼働するマシンであるところのコンピューターは、基本的には計算しかもっと言えば、四則演算しかできない

その四則演算しかできないマシンが様々な工夫と圧倒的な計算スピードで人と同じ様に知能を持っているかの如く振る舞っているというのはそのとおりです

というか、コンピューターは、他の家電製品と同じで、結局は回路に電流が流れているだけの機械です
(新卒で、コンピュターのシステムを開発する会社に入ったときに、同僚が「結局、電流が流れているだけなのに、なんで計算できるんだ?」と真顔で僕に問いかけてきたのを今でも思い出す。)

著者は、四則演算しかできないマシンであるところのAIは、結局のところ数学で表現可能ことしか実現できない。 だからこそシンギュラリティは絶対に来ない

では、AIにできることとは(すなわち、数学で表現できることは)なにか。著者は以下の3つであると明言します

  • 論理
  • 確率
  • 統計

前述の「東ロボくん」のプロジェクトでも、「論理で解決できないならば、確率と統計を使う」というアプローチがとられます

そしてできないことは、「意味を理解する」ことだと断言します
いまだ、数学には「意味」を表現する手段を持たない、だからこそ意味を理解しないととけない問題は、東ロボくんには解けないという話はなるほどなとおもうところがありました

第2次AIブームの時の自身の経験をもとにした現在のAIブームの意味

実は、僕自身第2次AIブームの時代をなんとなく覚えています。
当時、高校生だった自分は自宅のパソコンを使いながら、近い将来コンピュータが様々な分野で人を超える知識を持ち適切にアドバイスを行うことで仕事の仕方を変える「エキスパートシステム」が時代を席巻すると信じていました

そのころ、ハマっていたのがPrologというプログラミング言語でした
この言語は、「論理」をコンピュータに記述するための言語でした
例えば、こんな感じのことができる言語でした(プログラミング言語で書いてもわからないので、文章で書きますが)

プログラムする内容
「夫婦とは、夫と妻のペアである」
「親子とは、夫婦とその子供の関係である」
「父親とは、子供と親子である夫婦の夫である」
「母親とは、子供と親子である夫婦の妻である」
「アダムとイブは夫婦である」
「カインとアダムは親子である」

ここまでプログラミングすれば、以下の質問にコンピュータは答えられました
「カインの母親は誰か?」
>イブである

これに高校時代の僕はすごく感動しました。そして、色々いじっているうちに更に思うことが増えました
これって本当に人が何もかも教えないと何もできないなぁ

とはいえ、高校生の子供が考える心配ごとなどきっと大人が解決するはずと思い、大学時代はすっかり忘れて去っていまいた(おい>自分)

で、社会に出てみるとAIブームは去っていました。当時は深く追求しませんでしたが、上記の懸念はそれほど的はずれでなかったことはわかりました

そして、著者の説明によれば(他のAI関係の書籍も多くは同じことを言うが)、この第2次人工知能ブームを踏まえて生まれた現在のブームは、「確率」と「統計」をもとにした、「いちいち細かいことを教えなくても、大量のデータをもとに人間らしく振る舞うプログラムが作成された」ということにつきます

現在のAIブームでも達成できていないこと

確率と統計の活用(例:深層学習)により、自動翻訳の精度はびっくりするくらいあがり、画像認識でその画像に何が描かれているかを識別し、ジョパティで優勝し、MARCHクラスの偏差値を取るところまでAIは進歩しました
しかし、それでも新井紀子さんは、「意味」が理解できないために絶対に超えられない壁があるのだと言っています。

その事例が、以下の3つです

  • 推論
  • イメージ同定
  • 具体例同定

さらに、できないとまでは言わないがかなり難しいのは、「同義文同定」です
同義文は、少し文章の中の構成や利用している言葉を変えた2つの文が同じかとうかを判定する問題ですが、その他はちょっと意味が違うので本書に従って詳しく記載します

推論は、常識がものを言う

「エベレストは世界で最も高い山である」という文章を読んで、次の正誤を問うというのが、推論問題です
「エルブレス山はエベレストより低い」

人にとって簡単そうでも、この問題は「高い」「低い」という意味の理解が必須になるため、人工知能が太刀打ちできない問題です

イメージ同定は、文章をもとに図形の間の関係を読み解く

「四角形の内側にく黒い丸がある」という文章を読んで、いくつかの図形からそれに該当するものを選ぶ問題もAIには苦手です。これも、言葉の意味を図形に変換することが必要だからです
現在、自動運転車などの開発において、画像認識はかなり進んでいるようですが、その画像の意味と文章の意味を紐付けるというのは非常に難しいのだそうです

具体例同定

「2で割り切れるものを偶数という。そうでないものを奇数という」の文章を読んだ後に、例(65,0,2,110)の中から偶数を選ぶという問題もAIには難しいのだそうです

実は、ここだけ私はひっかかりました。なぜなら、上記に書いたように高校時代にちょっと触ったPrologという論理を扱うプログラミング言語であれば、偶数の定義をすれば偶数の具体例を列挙するのはできたはずだからです

しかし、新井さんが指摘しているAIでできないこととは、そもそもの人が読む文章をAIが理解して定義を抽出できるかという部分にあります。
人がコンピュータに定義をコンピュータにわかる形で伝えた結果それに基づいて具体例をあげる(まさにエキスパートシステムの発想)ではありません。そういう意味では僕の経験と矛盾するものでありませんでした

問題は現在の子どもたちの読解力

この本のもう一つのテーマは上記のようなAIに解けない問題やAIでも解けない問題も含めて多くの子供達(中学生から高校生)にテストをした結果、 深刻な状況と考える事態に陥っているということです

多くの子どもたちは、これらの問題を解けません。4択問題で正答率が3割を切る問題、2択問題(意味が同じか否かなど)で6割の正答率しかでない問題がありました

この状況、実は私個人の経験でも似たような経験がありました。そういう意味では、簡単に見える文章を読み解く力が弱い子供がいるのはおそらく今にはじまったことではないように思います

数学が得意なのにテストの成績が悪い家庭教師先の教え子

私は大学時代に、家庭教師のバイトをしていました。文系の学生だったのですが、なぜか理系志望の中学生に数学を教えることになったことがありました。
ま、数学が苦手で文系を選んだわけではないので、数学と英語と国語を教えるという家庭教師はけして分の悪い話ではありませんでした

そのときに出会った生徒の一人は、ちょっと不思議な生徒でした
計算も早く、方程式の解法もきちんとわかっているのですが、テストの成績が伸び悩むのです

初めての家庭教師ということもあり(しかもいわゆる紹介所などから紹介されたわけではないため、なにか特別な教材を誰かが用意してくれているわけでもない)、当初何が原因かを探るのに随分苦労しました。

学校や模試のテスト結果を見ながら間違えた問題を一緒に解いたり、似たような問題を解いてもらったりしているうちにようやく気づいたことがあります

この子は、文章題を式にすることができない!

そこからは、数学を教えているはずなののに文章の読み方を教えるという国語の家庭教師のような状態が続きました

それこそ、この本でも書いてあった「係り受け」や、接続詞の意味を正確に理解させ、新聞記事の要約をやらせてみたりしました

少し時間はかかりましたが、その子の成績は上がっていきました。

この本を読んでいて、自分のこの体験を思い出しました

昔も今も、文章を読めない子どもたちはけして少なくないのだと思います

そういう経験があるからこそ、この本の内容は非常に真に迫って感じることができました

以上 新井紀子さん著の「AI vs 教科書の読めない子どもたち」の書評記事でした(だいぶ個人の経験が追加されていますが…)

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