[劇評]シアターコクーン「真情あふるる軽薄さ2001」@シアターコクーン

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今世紀の初観劇は、蜷川氏の演出デビュー作の再演。
全共闘時代の印象を色濃く残す芝居で、最近見る芝居とはやはり演出も脚本もかなり違う(好きだけど)。主役級の3人が芝居の全てをひっぱるが、古田さんの演技だけ、一本調子でちょっと違和感があった。高橋さん、鶴田さんの演技は、予想以上の好演。最近にない演出の奇抜さが心地良く、総じて好印象だった。

劇団 シアターコクーン レパートリー
題名 真情あふるる軽薄さ2001
公演期間 2001/01/06~2001/01/28
清水邦夫 演出 蜷川幸雄
出演 高橋洋、鶴田真由、古田新太、井出らっきょ、つまみ枝豆、グレート義太夫、柳ユーレイ、飯田邦博、塚本幸男、伊東千啓、廣哲也、新川將人、岩本宗規、堀文明、小石祐城、井上顕、真貝大樹、河野道夫、梶山潤也、小笠原幹夫、岡大作、金子岳憲、神保良介、竹内純、中村正志、難波清、野辺富三、楠本真一、中山稔之、蓬菜照子、山口詩史、中島陽子、妻鹿有花、仮屋ルリ子、佐藤亜愉子、杉山恵、渡辺陽子、南波圭、栗田めぐみ、中澤聖子、松坂早苗、落合敏行、大澤史郎、久保考世、藤村延二、三井渥、山田益光、青木みゆき、渡辺憲子、横堀富佐子
劇場 シアターコクーン(渋谷)
観劇日 2001年1月23日

<<ストーリー>>    (ここ以下はネタバレあり)

客席に坐る本当のお客さんも含めて、ざわついた客席から舞台が始まる。何かのチケットを買うために整然と並ぶ人々に対して、なんやかやと文句をつける青年。青年の言動は、並ぶ人々を不快にするが、人々はけして列を乱そうとしない。そこに、心中の生き残りの娼婦が現れ、青年を昔から良く知っているという紳士が現れる。青年は、娼婦と語り、紳士と語りながら、整列する人々に対して数々のアジテーションをするが…

 

<<感想>>

元々蜷川さんの演出の舞台を良く見るようになったのは、テレビ放映された蜷川版ハムレット(渡辺謙主演)を見た時の最後の群集シーンの美しさに感動したからだった。
今日の舞台はそれを思い起こすのに十分の舞台だった。久々に役者ではなく、演出を見せられたという印象。
総勢50人からの役者が舞台上に立っているが、下記の三人以外は所謂群集として、特に個性があるわけではない。恐らく、脚本意図は群集VS青年とか群集VS女といったものを見せようとしているのだろうが、見事に群集が群集として演出されているのに驚いた。割と度肝を抜かれたラストシーン(まさかコクーンでテント芝居ばりの舞台崩しが見れるとは思わなかった)もそうだが、最も私の印象に残ったのは青年がマシンガンをぶっ放し整列していた人が全員死んだと思っていたシーンで、くすくす笑いから嘲笑に変わりながら群集が立ち上がり元のように整列するシーン。ありきたりの表現だが、鳥肌が立つような心持ちがした。

萩原聖人さんの突然の降板による代役の公演ということで、高橋さんの演技は心配していたのだが思った以上の熱演で、そういハンデは感じなかった。
鶴田さんは確か初舞台だったと思うが、舞台向きの声量で、コクーンの最後列にいてもびしびし伝わってくる存在感にほれぼれとした。惜しむらくは、当日券で入った為に、最後尾の席しか確保できず、鶴田さんの下着姿を間近で見れなかったことか。
古田さんが一本調子でちょっと不自然な感じ。蜷川演出になれていないのか、本領発揮とはいっていない印象だった。高橋、鶴田に比べて必要以上にクールな印象が強くちょっと浮いていた気がする。
選曲もちょっと疑問を感じた。舞台にうまくマッチしていない印象。

今の時代にこの芝居をやる意味は何だろう。と見ている最中に考えていた。全共闘の時代は終わり、機動隊の格好をした男達が、青年を取り囲み叩くシーンで彷彿とさせるものは、僕らの世代の人間から見ても完全に過去の話だ。
ただ、野田秀樹が、カノンで浅間山荘事件を思わせる鉄球を使ったのとは違う意味で、今この芝居が上演されたように思う。学生運動が過去のものであったとしても、何ら明確な理由もなく、列に並びつづけ、周りが誰もしないからという理由だけで、坐る事さえ嫌がる人々の姿は、時代を超えて共通していると思う。青年の苛立ちは、けして過去のものではない。青年の姿に共感を感じつつも、列に並ぶ人々の振る舞いも苦々しくも同様の共感を感じる…この僕の感触こそが蜷川さんがこの脚本をあえて今上演した意図なんじゃないかなと思った。こういう芝居もっと見たい。

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