みんなが面白いと言ってる作品を面白いという人こそ才能ないのでは?

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いや、本当にそう思っているわけではありません。面白いという/面白くないというどちらも才能の有無とは関係ないと思います。以下のブログ記事を読んでいて感情がざわついた(≒ムカついた)ので、考えを整理します。

みんなが面白いと言ってる作品に対して、「何が面白いのか分からない」という人は才能がないだけ|AirDays」

8月に公開された「君の名は。」が爆発的な大ヒットを記録しています。

僕自身も先週見に行って、結構良い作品だったなと思ったのですが、こういう大ヒットを記録した作品に対して「何が面白いのか分からない」って言っちゃう人がいるんですけど、それって才能がないだけだと僕は思うんですよね。
〜中略〜
いや、もちろん好き嫌いはあると思いますけど、「何が面白いのか分からない」って公言しちゃう人って、恥ずかしい事だって分かってないのかなと。

いや、才能がないわけでもないし、恥ずかしいことでもないから。

というわけで、色々身につまされるので、以下僕なりの反論。

目次

■面白い面白くないはという評判は、大事。多様な意見があることが大事。

多数決じゃないし、みんなが面白いと言ってる作品に面白くない。何が面白いかわからないとという人がいることが大事で、それを才能ないって切り捨てるのは残酷すぎませんか?
2時間映画を見るのに費やした時間をどう感じたかを率直に言ってるのに、なんで才能云々言われなきゃならないの?
その意見によって、2時間を無駄にしないですむ人もいるわけじやないですか。

美味しくない料理出されて、美味しくないと言うのは「才能がないだけ」とか「恥ずかしくないの?」と言われてる気分
ピンと来ないし、意味不明
こんな論理がまかり通ったら食べログなんかいらない

■むしろ面白いと書くとか言う方が楽で才能いらないと思う。

はっきり言って「どこが面白いのかわからない」と言い切るのが、大変。僕自身たくさんの演劇作品に対して、褒めるブログと批判するブログを書いているのだけど、後者のほうが圧倒的に気を使うし、書くのに時間がかかる。

作り手の事を考えれば、批判に対して自分なりに根拠を明らかにしないと言えないし、主観部分(好き嫌い)と客観部分(出来/不出来)を必死で自分の心中にあるものを切り分ける作業を行わないと書けない

しかも、ブログとしては、批判した記事は拡散されないので、書いただけ損。(ツイッターで更新通知しても拡散量がぜんぜん違う)それでも、書かずにいられない。言わずにいられない

■「面白くない」と言わないと「面白くない」が再生産される。

もし、映画や芝居を見て、「何が面白いのかわからない」と感じたなら、それを表明すべき。そうしないと、
・自分と同じ感性の人が無駄な時間をすごすかもしれない。
・作り手たちが、多様な観客の存在に気づかないで、また「どこが面白いのかわからない作品」を再生産するかもしれないから

作り手への理解や、面白いと感じる人への配慮や共感、寛容は必要だと思うけど、面白くないものを無理やり面白かったというのも失礼な話だと思う。

■せっかくみたんだから楽しめよ…ていうけど。

どんな作品の中にも、楽しみを発見できる人のほうが人生楽しんでるっていうけど、楽しみなんか発見できない作品があって、それをみんなが面白かったと言っているから、自分は「面白くない」と言えないなんて、最悪ですよね。

人生の楽しみ方は人それぞれだけど、面白くないものを見て面白くないと言えない人生なんて悲惨だと思う。

 

追伸:あまり本論には関係ありませんが、私は「君の名は。」は見てません。最後に見たアニメ映画は、「屍者の帝国」ですね。(DVDになってからですが)

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