[劇評]宇宙論☆講座「ロボット音楽劇 楽しい東京オリンピック」@ギャラリーLa Grotte

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虚実ないまぜ何が正しく何が嘘かもわからない混沌
芝居終了後に本物のパンフ配布。ロボット芝居ではなく、ひとり芝居。そういう部分も含めて、虚実ないまぜの何が正しく、何が嘘かもわからない混沌を見せられた印象。本人も自覚していることだと思うが、出来は悪い。前衛的と言えば聞こえはいいかもしれないが、独りよがりの範疇を超えていない。

劇団 宇宙論☆講座
題名 楽しい東京オリンピック
(本当の題名「日本の演出家」)
公演期間 2016/09/032016/09/25
作/演出/プログラミング/出演その他諸々 五十部裕明
劇場 ギャラリーLa Grotte(駒込)
観劇日 2016年9月19日(ソワレ)

ネタバレを恐れて、公開を遅らせました。

今回の公演は、ロボット芝居「楽しい東京オリンピック」という題名で広報されており、前説含め120分の上演時間ということで伺いました。正直、池袋演劇祭の審査員として割り当てられていなかったら、行かなかったと思います。

ところが、芝居が終わってみたら、「真」のパンフレットが配られました。ひとり芝居で「日本の演出家」という題名。劇中、前説と言い続けていた話が芝居の本体で、ひとり芝居であった。

実は、劇中何度もネタバレしてもしなくても面白さに変わりがない的なセリフが繰り返されており、ネタバレしてもいいよという作者/演者のメッセージだとは思っていたのですが、やはり見る人には同じ感情を感じてほしいと思い、最終日が終わってから、公開に踏み切りました。

音楽劇を名乗ったの意図は?

最初から、ひとり芝居として広報しても良かった気がする。観客を戸惑わせる以外の効果はなかったように思いました。告知上は、「前説込み120分」といい、芝居が始まって1時間たっても1時間半たっても、これは前説ですといいながら、モノローグ的な芝居が続く構成。演者の意図が、不明でした。(最終的な戸惑いが意図だとしても、その戸惑いを感じさせる意図が不明…)

ちなみに「真」のパンフレットに書かれた題名「日本の演出家」というのも内容とのリンクはわかりませんでした。

朗読型ひとり芝居と思えば…

前説と言い続けるだけのことはあり、出演者はずっと手元にある台本を読みながらすすめています。朗読型の芝居というのもあり、かならずしも、セリフを覚えてからやならないと演劇ではないというつもりはない。が、今回の作品は完成度はまったく高くない。

ずっと台本を読みながらの芝居。ロボット(というか、予めプログラミングされた本人の声が演じる別人格)との掛け合い。恋愛ものちっくな所もあり、「ラブ・レター」を彷彿とさせる部分もあるが、繰り返すが完成度がめちゃくちゃ低い。
作・演出・出演(作曲とかも)、プログラミングを一人でこなしているとはいえ、やはりプログラムのオペレーションと台詞回しを同じ人間がやることには無理がある。(自分のセリフを読み終えるとパソコンのエンターキーらしきものを押し、ロボットのセリフ及び音響/照明効果をオペレーションするの繰り返し)

照明効果を多用する(≒暗いシーンが多い)のも物語の目的だと思うが、そのために読む台本が読みにくくセリフに詰まる部分が多数。まさに、本末転倒。

それでも、この形でとりあえず進んでいるのは準備がよくできているからかもしれないが。(でも、別にそれがエクスキューズにはならない)

せめて、出演者がセリフを覚えており、プログラムによる照明/音響/セリフを出演者のセリフのタイミングに合わせてオペレートする人がいれば、印象は良かったかもしれない(芸人の陣内智則のネタみたいになりそうだが)
ロボット(プログラム)との会話劇。ひとり芝居のある意味新しいカタチかも知れないが、蒸気のような状況で、とても、評価に値する形式とはいいきれない。

照明効果を売りにしたい様子だが…

照明効果は、けして良くない。最新機材を使った美しい照明効果を売りにしたいようすだったが、機材の進歩はわかるものの使い所が良いわけではない。どんな名曲であっても芝居の中での使い所が悪ければその効果が半減するのと同じ。
素晴らしい照明効果も使い所がわるければ、照明が人に与える効果は半減する。照明の使い方の基本が出来ていないように感じました。生意気言って申し訳ありませんが、照明だけ見ていても、この芝居が芝居の体をなしていない事がわかります。
ま、ここまでが劇評。以下は、ぐだぐだ。

■演劇における照明/音響の意味は?

かつて、芝居を作る仲間と話していたときに強く感じていたことだが、照明/音響効果のスタッフの役割は、演劇におけるそれと、バンドや音楽をやっている人間たちとは大きく異っていると思います。自分がスタッフをすることが多かったが故に、スタッフへの肩入れが激しいのかもしれませんが、コンサートの照明/音響スタッフができるのは、せいぜい盛り上げることができる程度だが、音響/照明は、その効果によって役者の心象や演出の意図を伝える力があると思う。

そういう気概がないと、演劇のスタッフってできないと思う。(だから脚本も読み込むし、演出や照明とも喧嘩する)

そんな思いがあったので、劇中の会話(?)に照明でやりたいことが演出に認められない事を歯がゆく思う照明家の話は、半分気持ちがわかるなぁと思いながら聞いていました。

勿論、最終的には観客にとってよいか悪いかだが、照明が見せ場の芝居というのもあり得るわけで、照明家の思いもなんだか納得できるものもある。
音楽劇があるように照明劇があってもいいのにという台詞は(それがどんなものになるかは想像つかないものの)、一理あるなとは思いながら聞いていました。

■スマホ撮影大歓迎

実は、この芝居の始まる前の前説(って全部前説という体の舞台だったので、その割と最初の方のセリフで、スマホ撮影大歓迎といったのが、印象に残り、色々考えました。これについては、別記事にしました。

観客はもっと舞台に関わりたい!

この舞台は、2016年池袋演劇祭審査員として鑑賞しました。

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