[劇評]扉座「フォーティンブラス」@紀伊国屋ホール

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山中たかシの成長著しく驚く。ハムレットと平行で上演されるせいか、喜劇でありながら荘重な演出になっており、重苦しくなっている。個人的には、ちょっと暗い演出が芝居単体の魅力を損なっている気がした。

劇団 扉座
題名 フォーティンブラス
公演期間 2001/08/29~2001/09/10
横内謙介 演出 栗田芳弘
出演 岡森諦、高橋麻里、赤星明光、仲尾あづさ、六角精児、岩本達郎、石坂史朗、山中たかシ、高橋一生、有馬自由、伴美奈子、村内貞介、田島幸、古谷美穂
劇団 紀伊国屋ホール(新宿)
観劇日 2001年9月1日(ソワレ)

<<ストーリー>>

大スター主演のハムレットの舞台裏は、舞台の出来が今一ということもあり、いつもハムレット役の大スターに対する不満がくすぶっていた。その不満の急先鋒フォーティンブラス役の羽沢の下に突然、フォーティンブラスの父と名乗る亡霊が現れる。

<<感想>>

「もういい。言葉がないのが言葉なのだろう。俺はその冷たい無言を抱いて行こう」

ストーリーでもなく、役者でもなく、セリフそれもたった一つのセリフが心に残ったが故に忘れることのできない舞台というものが僕の場合存在する。扉座のフォーティンブラスという作品を前に見たのはテレビのはずなのだが、忘れる事のできない作品である。その理由は結局このセリフだけだったといっていい。それでも、再演されれば是非とも見たかった舞台だった。

実は、テレビだみただけだったこともあってストーリーの過半を忘れており、ある意味新鮮な気持ちで見ることの出来た今回の舞台は、非常に扉座らしい物語で、特にストーリーが凄いと感じる部分はない。ただ、セリフの多くの部分がハムレットに拠っており結果として本来ハムレットにない横内さん自身が書いたであろうセリフもシェークスピア的なレトリックを使っている部分が多い。それがまたストーリーにマッチしているところには横内さんの才能を感じざる得ない。セリフのみが、印象に残っているのもそういった部分があるかもしれない。(元々僕がシェークスピア特にハムレット好きということも関係しているだろうが)

役者としては、山中たかシさん演じるフォーティンブラスが、舞台が進むにつれてかっこよくなっていくのが見ていて心地いい。最初見たときはただの「にいちゃん」だったのにすっかり看板役者っぽい風格がでてきたなぁとちょっと驚いた。

逆に、伴美奈子さんのメイクや衣装にはちょっと戸惑った。ストーリーが進むにつれて、いい年の老女優ということがわかるが、メイクが若すぎてそういう雰囲気がまったく伝わってこない。いくらセリフで年取っていると言われても、有馬自由さん演じる老フォーティンブラス王と同じ年とか、オズリックのお父さんの恋人とか言われる年齢感が伝わってこない。ラジオドラマじゃないんだから、メイクにもそれ相応の年齢感を出すべきではあるまいか。ラストシーンで、死んでしまうところも(多分脚本意図は、年齢的にも老衰とまではいかないまでも、病気による死をイメージしていた気がするが)、自殺かなぁと一瞬感じてしまった。恐らく、伴さんの見た目が若すぎて(実際若いわけだし)、楽屋で自然死しそうに見えないのが問題なんではないだろうか?脚本意図がうまく伝わらないという意味で大問題じゃないかなぁとか思ってみてました。

 

演出が、今回横内さんではなく、栗田さんだったせいか、ストーリーは横内さん的でも、演出は確かに別のものが出ていた。元々、それほど荘重な話ではないこの話が、同時上演されているハムレットに負けない荘重な古典であるかのような印象を見終わった後に感じたのは、演出の功績だろう。ただ、横内さんの脚本の演出としてこの演出(亡霊の登場シーンを初め多くのシーンで多用される数珠を使った効果音やうちわを使った演出)が果たして必要なのかなという疑問は持った。二本同時上演とはいえ、この公演だけを見た人にとっては、普段の扉座にない重苦しい演出が、面白さを削ぎ落としているように感じるのではあるまいか。

勿論、ハムレットと共用されている舞台装置や、ハムレットと同時に観劇する僕のような観客の目からみるとこのくらいで丁度よいのかもしれないが….

 

ちなみに、冒頭のセリフは、今回の芝居では少し変わって話される。前回は、そのセリフを吐くフォーティンブラスのかっこよさが記憶に残っている場面なのだが、シーンとしてはなんでもない普通のシーン。見ながら(セリフが少し格調高いものから口語っぽいものに変わっていたこともあって)、「なんでこのシーンのセリフがこんなに印象に残っていたのだろうか?」と不思議に思っていた。

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