劇団 | 立ツ鳥会議 | |||||
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題名 | 夕夕方暮れる | |||||
公演期間 | 2019年5月31日~2019年6月2日 | |||||
作 |
植松厚太郎 | 演出 | 植松厚太郎 | |||
出演者 |
荒川大:久田修(久田友理恵の夫) 小島明之:戸村浩介(久田夫妻の大学時代の友人) 鶴たけ子:久田(旧姓:篠塚)友理恵(久田修の妻) 伊藤安那:波多野文香(波多野秀道の妹) 近藤フク:波多野秀道(波多野文香の兄) 中川慎太郎:加藤舜(宝石屋の息子) 津島一馬:山之内航(梶の友人、小中学時代の同級生) 田中健介:梶高彦(山之内の友人、小中学校時代の同級生) 石原夏美:野渡水希(河上の友人、美大時代の同級生) 目黒ひかる:河上千尋(野渡の友人、美大時代の同級生) |
劇場 |
萬劇場(大塚)
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観劇日 | 2019年6月1日(マチネ) |
目次
第6回公演の劇団で3回目の観劇
この劇団を始めてみたのは、「ゆうちゃんの年」でした
不思議な世界観のある劇団で、ゆったりとした会話劇が主体の作風。
ただ、この劇団の舞台( 3回しかみていないので、えらそうなことはいえませんが)の過去に見たことがる会話劇主体の劇団とは、少し違うと思います
もちろん、私が見慣れている若干アングラがかった劇団とも大きくことなります
具体的には、
- 説明的な台詞が極端に少ない
- 結果として、会話の中の省略や指示代名詞、意味をなさない言葉が多く当事者でない(すなわち客席)が事態を理解するのに時間がかかる
- そういう会話であるがゆえに、舞台上の登場人物間でもしばしばコミュニケーションミスが発生している
この感じの共通点を今回の舞台でも感じることができました
個人的には、この劇団の新しさはそのへんにあるように思っています(勝手な推測です)
ここからはネタバレします
場面転換と時間移動の処理が見事
今回の舞台は、少しづつ夕暮れが進んでいく公園という場面で暗転もまったくなく進む舞台です
それでいて、人の出入り、舞台上に3つ置かれたベンチの上で繰り広げられる事件(というほどのことではありませんが)は、別物として進行します
しかも、みているうちに時間が一方向に進んでいないこともわかってきます
先程見たシーンの前日譚であったり、舞台の客席よりの立ち位置で語られる会話の原因らしき事態(当然に時系列では一日前くらい)の事件がそのすぐ後ろで同時進行で進んでいるなどということが起こります
ともすれば、こういう話の場合、
- 照明効果に頼ったり
- 衣装を変えたり
- 音楽を入れたり
- 舞台上のどこかにそれがいつなのかを示すような時計をおいたり
- 転換時に日時を示す表示を映像として投射したり
することで、そのへんのつながりを明示しようとする衝動に演出家ならかられそうな気がします
が、この舞台はそういうのを一切していません
会話と役者の演技だけで、かなり複雑な構造になっているこの物語をきちんと客席に伝えるという決断をした勇気はすごいとおもいます
その試みは、多分うまく行っていました
脚本構造が、妙に論理的
会社員として務めている人もいるという劇団ということで、作者の植松さんももしかしたら勤め人なのかもしれませんが、見ていて劇場では感じたことのない不思議な感覚にとらわれていました
構造がビジネス文書みたいな舞台だなと、仕事を忘れて芝居を観に来た身としてはあまり感じたくない感慨を受けました
上記のように、脚本の時系列がぐちゃぐちゃで人と人の関係もよくわからない。その上、劇団の特徴(だと勝手に僕が思っている)である説明台詞の極端な少なさがないまぜになって、はっきり言ってそのままだと絶対に芝居の中身が客席には伝わってきません
じゃ、なぜ伝わってきたのかと考えながら見ていて感じたのが上記の「ビジネス文書」みたいなシーン間の構造でした
私自身は、ビジネス文書の基本は以下の本で学びました
この本で語られているのは、「まず結論。その後に、「その理由」と「それがどうした?」を語れ」ということに尽きるわけですが、この芝居まさにそういう構造になっています
あるシーンで謎が残る(なんで、プリンタの紙を補給し忘れるが印象に残るのか?とか、なんでこんなに親身に中学時代の友達のことを思うのか?とか)。
その謎の説明になるシーンが割と直後に現れる。そして、謎とかその後の経過が気になることが起こる。
そして、それがまたその直後に…
一般的に言う伏線とその回収という話ですが、この舞台はその回収サイクルが早い
結果として、会社で(よく出来た)仕事の文書を読んでいるときのように疑問や展開にストレスを感じることなく120分の時間があっという間に過ぎた印象をもつことができました
そういった意味で、練られた脚本だったんだなぁと思いました(つぅか、ビジネス文書と違って、そういう構造の脚本がどのようにして頭の中で生まれるのか、練れば出来上がるものなのか、まったく未知の世界ですが)
ちなみに、前回こちらの劇団をみたときには、脚本を相当にディスっていましたが、その後にOMS戯曲賞の佳作を受賞されたりしているので、 私の脚本評価能力に信憑性はまったくないと自覚はしてますorz
それでも、前回の脚本は今でもイマイチだと思っています(頑固…)
役者の方々の力量も高い
客演の方が今回は多かったのですが、客演もそうでない方も含め上記のような複雑な脚本を破綻なく演じきっていたと思います
個人的には、複雑な心情を抱えながら、小中学校時代の同級生を自分の人生をかけてでも守ろうとする山之内役をやった津島さんの演技は好みでした。彼の感情の起伏はわかりやすく、感情を吐露する(舞台全体の中では珍しい)説明的な台詞にも感情がのっていて前のめりになって聞くことができました
また、伊藤安那さんの元気さも、救いでした。唯一人そこにいない人と話す一人芝居を余儀なくされながら、きちんとこなしているあたりは流石です。
それこそ、電話の向こうで困っている市の職員の顔が浮かんでくるような演技でした。逆に、その演技が印象に残っていたので、兄役の近藤フクさんとの普通の会話が新鮮に見えてしまいました
以上 立ツ鳥会議「夕夕方暮れる」の劇評記事でした
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