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著名な四人の学者による表題のテーマについて、実際に聴衆の前で行われた討論会の書き起こしの本
前に、対談形式の本は苦手と書いたが、まさにこの本はその弱点が露呈された印象で、非常に魅力的なテーマを扱った本でありながら、また、非常に有名な識者による討論でありながら、その時間的な制約の中であまり議論が深まっておらす、イマイチピンと来ない本であった
結局絶滅するのか?
結論は出ていない。ま、想像できた結末だが(訳者前書きでも、そう書いてあったし)
悲観論と楽観論の違い
楽観論は、統計的な事実に基づき、その意見を述べる。例えは、貧困率の減少や戦死者や餓死者の、現象を統計的にかたり、人類の未来を語る
悲観論者は、個人の及ぼす影響力の拡大に懸念を示す。たとえば、ヒトラーはあの時代に現れたが故に膨大な死者を出した戦争を引き起こし、多くの人を身連れにした。しかし、もっと昔ならば、彼の影響力も世界的にまでひろまらなかっただろう。
逆にいまでは、ヒトラーほど政治的に上り詰めないテロリストであっもヒトラーが犯したのと同じくらいか、それ以上の打撃を人類に与えることが出来る
そして、その個人をコントロールすることは出来ない
楽観論者の悲観論、悲観論者の楽観論
とはいえ、共有されている部分もあり、本で読む限りはお互いに冷静な議論をしているとは思った
例えば、議論には出てこなかったが、楽観論者のリドリーが、原理主義的宗教の拡大に懸念を示しているのは、ちょっとうーんと唸ってしまった
そしてどんな宗教でも、原理主義者のほうが子供を多く持つ傾向があります
子供が親と同じ道をたどれば——さいわい多くの場合そうはなりませんが——、過激派や原理主義者の予備軍が大量に増えることになります。
確かに、人口減少に悩む先進国に比して、原理主義者の人口増加は、確率的に人類への脅威を高めているかもしれない 。
悲観論者のグラットウィルも、人類が全体として進歩してきたことを認めている
それでも、この意見は、議論の中では双方とも語ることはない。そのために、議論は平行線をたどり続けました
この議論が平行線をたどり続けたことが、この本にとっての不満の根本 なぜ、その両サイドの意見を飲み込みあらたな道にたどりつかなかったのかが不満ではあった。
結局、話が深まらず、消化不良のまま終わってしまった タイトルに結局だまされたということか。
原題は、 絶滅ということばはでてこない。
原題は、「Do Humankinds Best Day lie ahead」(人類の未来には最高の日が待っているのか?という感じ?)
絶滅という不可逆的喫緊の課題をどうするかという建設的な意見が戦わされることを期待したが、もともとそういう趣旨の場でもなかったらしい 聴衆は、議論の前より後の方が、楽観派が増えたのが結論のように記されているが、それもなんだかなぁというのが率直な読後感。
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