先週、松阪に行ってきました!(9/15)。松阪といえば、松阪牛しか思い浮かばないかもしれませんが、行ってみると見どころのあるポイントもあり、意外に楽しめました!
松阪に行って知った松阪の見どころをまとめてみたいと思います
目次
城跡でありながら、威容がある松阪城跡
まず、足を運んだのは松阪城跡でした。
単なる城跡ということであまり期待をしていなかったのですが、意外にも迫力のある城でした(今は公園として整備されています)
石碑のバックにある石積みの迫力伝わるでしょうか?
別に城マニアというわけではありませんが、過去に上田城跡、熊本城、広島城、大阪城などいきましたが、なんか戦争のための城という感じを強く感じたのは、熊本城についでここだと思いました
松阪城は、蒲生氏郷氏によって1588年に建てられましたが、それほど長くこの城にいたわけではなく、城主は何度も変わっています
城こそ残っていませんが、天守閣につながる道は、自然石による石段でしたし、石積みのの壁に囲まれた道はまさに、敵の侵入を防ぐための威容を感じました
天守閣の広場までたどり着くと、ちょっと小山に登山したくらいの気持ちいい疲労感がありました(年のせいか)
とても印象に残る城跡だと思いました
本居宣長という人が半端ない
松阪城跡地の中に、本居宣長旧居を移築したものと、記念館が併設されています
この記念館で、本居宣長という人について、いろんな事を知りました(元々知らなすぎた訳ですが)
本居宣長は一生のほとんどを松阪で過ごした
国学の祖として学校で習ったことや、江戸の賀茂真淵に師事したなどの話を聞いていたので勝手に江戸に住んでいたものと思い込んでいました
しかし、本居宣長はその一生のほとんどを開業医として松阪に暮らしていたのだと、この記念館で知りました。
この記念館は地味にすごくて、収蔵しているものは本居宣長の残した多くの学術文書が残っています。
そのため、色々な展示物から本居宣長の業績や人となりを知ることができる面白い記念館でした
17歳で作った地図がすごい
館内のわりと目立つ場所に、本居宣長が17歳のときに書いたという地図が展示されています
圧倒される大きさも去ることながら、わずか17歳で測量による計測もない中で全国のこれほどに細かい地図がかけていることにびっくりです
今でも残っている地名があちこちに見えてしばらく地図の前で色々みてしまいました
前日にいった「伊勢」を探したのですが、当時はこの一帯が伊勢と呼ばれていたのか、伊勢という地名はなく、「宇治」「山田」の地名と内宮、外宮の表記があります(赤枠)。流石に地元は正確な地図になっています
ちなみに、宇治と山田は今駅名で、「宇治山田駅」として内宮と外宮を結ぶ近鉄線の駅としてあります
私の実家あたり(広島)あたりの地図はちょっと位置関係がおかしいです
三次は、広島の真北に位置するのですが、なんかすごく右に曲がっています(笑)(赤枠)
私がおかしかった事に気づきました。広島に長く住んでいても県北の地理には疎かったようです(汗)
古事記伝は全44巻、34年を書けて大作
名前は知ってましたが、これほどの大著であったとは知りませんでした
師匠にあたる賀茂真淵とは、通信教育で質疑をやりとりしていた記録文書も残っています。
墨字で書いた本居宣長の質問や文章に、賀茂真淵は赤字で回答している様。赤ペン先生の元祖はここに居たようです
旧居もそのまま移築されて残っています
趣のある旧家でした。
勿論、松坂牛は最高!!
松坂牛は、鯛屋旅館にて頂きました
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2016年、ぴったんこカンカンのロケがあったとも言う有名店でした
すき焼きの作り方が、僕の知っている作り方と違って、割りしたとかをつかわずまさに「焼き」から入ります
醤油と砂糖だけの味付けですが、肉質の良さもあり、卵を絡めると本当に絶品の味でした
更に野菜類も入っていくのですが、ごぼうや玉ねぎなど自分のすき焼きの概念に含まれない野菜類が入っています
しかも、これがうまい!!!
我々は、鯛屋旅館の泊まって夕食としていただきましたが、ランチ営業もあるようです。
予約は必須の模様(行った日の昼は満席だったようです)
番外?
ちなみに、アイキャッチは、松阪駅前にある牛の置物ですが、木綿の布がかけられています
もう一つの松阪の名物は、木綿です
江戸時代に、松阪産の木綿が江戸で大流行したことで松阪商人が発展し、後の三井家を始めとする豪商が多く誕生したのだそうです
今も、まつさか木綿センターというところでたくさん木綿製品を扱っています
以上 松阪に旅行に行ってわかった松阪観光ベスト3の記事でした
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