[劇評]ジョン・ケアード演出「ハムレット」@東京芸術劇場プレイハウス(池袋)

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3時間を超えるハムレットは、長さを感じさせない傑作舞台。過去にあまり例を見ない少人数編成も、個々の役が十分に掘り下げられており、様々な解釈を考えさせられました。外国人の演出ながら、全般に日本とか東洋を感じさせる舞台でしたが、こなれた台詞の効果もあり、スタイリッシュなハムレットになっていたと思いました。

劇団 東京芸術劇場
題名
公演期間 2017/04/072017/04/28

ウィリアム・シェイクスピア

演出

ジョン・ケアード

翻訳 松岡和子 上演台本 ジョン・ケアード、今井麻緒子
出演 内野聖陽:ハムレット/フォーティンブラス ほか

貫地谷しほり:オフィーリア/オズリック ほか

北村有起哉:ホレイショー

加藤和樹:レアティーズ/役者たち(ルシアーナス) ほか

山口馬木也:ローゼンクライツ/バナードー/役者たち/イギリス使節1 ほか

今拓也:ギルデンスターン/マーセラス/役者たち/イギリス使節2 ほか

大重わたる:フランシスコー/レナルドー/役者たち(序詞役)/牧師 ほか

村岡哲至:ヴォルティマンド/役者たち/水夫1 ほか

内堀律子:貴婦人/役者たち ほか

深見由真:役者たち(劇中の王妃)/水夫2 ほか

壤晴彦:ポローニアス/墓掘りの相棒 ほか

村井國夫:墓掘り/役者たち(劇中の王)/コーネリアス/隊長 ほか

浅野ゆう子:ガートルード ほか

國村隼:クローディアス/亡霊 ほか

藤原道山:音楽・演奏

 劇場
東京芸術劇場プレイハウス(池袋)
観劇日 2017年04月23日(マチネ)

目次

当日券で、前から4列目

ジョン・ケアード演出のハムレットは、非常に少人数の編成で、斬新な演出がされるような演劇系のニュースをみて観に行きたいと思っていました。今週の金曜日が東京楽日ということで、ラストチャンスの今日、ダメ元で新国立劇場に伺いました。

結果、下手側の一番はじとはいえ、前から4列目の好位置の席が確保できました。個々の役者さんの表情まで見える席でみることができました。

最年長ハムレット?内野聖陽さんのハムレットは如何に。

シェイクスピアの「ハムレット」は、シェイクスピア作品の中でも屈指の人気の舞台。演劇感想文リンクでも、1988年から今年まで、42回もの公演の感想文があります。

実は、内野聖陽さんが、主演と聞き少し不安でした。ハムレットは若気の不安定な感情と優柔不断さが紡ぎ出す物語。

昨年の大河で徳川家康の演技のイメージがのこっているせいか、重厚な印象がありました。はたして、その内野聖陽さんでハムレットのそれが納得感のある感じで表現されるのか?という不安でした。

始まってすぐに杞憂だと気付きました。

セリフと身のこなしは、共に軽くて、ハムレットの若さが否が応でも強調されていました。ハムレットの若いが故の苦悩や苛立たたしいほどの優柔不断さは十分に伝わってくる感じでした。第二幕で、結構実年齢を感じる声質に戻ってしまうところもあったのですが、前半の若さの印象の貯金(?)が効いて、違和感なく演じきられていました。

また、内野聖陽さんだからこそ出せる演技の深みが、終盤の怒涛の展開の中で遺憾なく発揮され、物語に引き込んでくれました。

ちなみに、調べてみると2001年に、市村正親さんが、蜷川幸雄さんの演出で、ハムレットやってます。1949年生まれなので、当時52歳。現在の内野さん(48歳)より、年上でした。でも、年齢高い方ではあります。劇中で語られるように、中世の大学にかよっていたような年なので、20代といったところだろうと思われるので、倍以上、年上の人がやって違和感がないというのは、演出+本人の演技力の賜物ですね。

たった14人のハムレット

今回観に行きたいと思った理由は、演出のジョン・ケアードさんの14人でこの舞台を構築するという演出プランを聞いたからでした。

特に、主役ハムレットを演じる内野さんが、同時にフォーティンブラスを演じるということ。物語の中で対極にある二つの役をどう演じ分けるのか?どう演出するのかがすごく興味を惹かれていきました。

あけてみれば、語り部にあたるホレイショ以外は全て二役、三役をこなす状態です。クローディアスを演じる國村隼さんも、その兄にあたる父王ハムレットの亡霊役も同時に演じています。

ただ、役者がすくないから二役、三役やっているというよりも、このキーとなるキャストが対極的な役を演じるのにはそれぞれに効果があると思いました。

観客は、このハムレットという芝居が、「お芝居」であることをより明確に意識させられるのです。

舞台装置も、出演者は全て上手側に待機しているのが観客からも見えて、そこから舞台へ現れ、演技をした後、待機場所に戻る。劇中劇があるこの芝居そのものが、やはり芝居であることを強調する演出だと思いました。

 

その他、能を思わせる素舞台に近い舞台、和装を思わせるゆったりとした無国籍な衣装、全編尺八生演奏で統一された音響効果。

ともすれば、単調になってしまいそうな演出でしたが、緊張感のあるシャープな印象を与えてくれました。

魅力的な台詞、生きている台詞

「あるべきか、あらざるべきか…」いつも、ハムレットを見る時に気になってしまう有名な台詞、to be or not to be…の翻訳は今回はこうでした。

 個人的には、台詞の前後関係から「そうすべきか、そうすべきでないか…」の方が(復讐をするかしないかの優柔不断さを示す台詞として)ピンとくるのですが、ここはちょっと直訳調だなと思いました。

松岡和子さんの訳を基本に、かなり台詞はいじられているようです。修正の方向は、よりわかりやすく、より現代的にというところでしょうか?

シェイクスピア劇特有の格調高さ(≒くどさ)が絶妙で、ギリギリの塩加減で旨味を引き出された料理のように心地よい聞き応えの台詞でした。

リズミカルで詩の朗読のような台詞回しに違和感なくついていけたのは、翻訳以外に、演出と役者の技量の高さでしょう。

役者さんは、印象的な方ばかり

よくよく考えると劇場に足を運んで見たハムレットは、これが2回めで後はテレビの劇場中継とかです。しかも、前回見たのは扉座のハムレットで今考えるとすごく端折って作られていました(2時間半休憩なし)。

そのせいか、それとも歳を取って、見方が変わったからか、今までハムレットで印象に残っていなかった事に色々気づきました。

■貫地谷さんらしいオフィーリア

大河で見てる役の印象に引きずられてるとこあるように思いますが、思い詰めてついに発狂まで追い詰められるというオフィーリア役がとてもハマっていました。

ただ、発狂している演技は今ひとつで、メイクのぐちゃぐちゃさで、発狂の事実が漸く伝わってきた感じでした。 調子っぱずれの歌を歌い、千鳥足で歩くというスタンダードな演出もちょっと冷めました。

内野さんの佯狂(気狂いのふりをしている)としての演技の方がよほどホンモノにみえました。

■國村隼さんのクローディアスにも、葛藤と物語が…

覚えてなかっただけかもしれませんが、クローディアスってただの悪役とおもっていましたが、國村隼さん演じるこの役には、兄殺しの葛藤と苦悩があり、それを語る國村隼さんの演技にグッときました。

既にクローディアスの方に年が近いせいもあり、手の焼ける甥っ子に腹を立てたり、途方にくれたりという彼の感情に共感してしまったりするとは見る前には思っても見ませんでした。

ハムレットという戯曲の新しい見方を今回発見しました。シェイクスピアおそるべし。

■北村有起哉さんのホレイショーに泣かされました。

四大悲劇の一つになるくらいですから、悲劇として泣かせるポイントはいくつもあるのですが、僕は最後のホレイショーのシーンで胸に詰まるような感情を持ちました。

ハムレットの中でも見せ場のこのシーン。北村さんの演技が本当に良かった。 台詞が身の内から絞り出されるように話すさまや、感極まって言葉に詰まるような表情、語り口が絶妙で、舞台上にいる他の役者さんの存在感がなくなるほどでした。

語り終えた時、ふと今まで見た芝居は幻でずっと北村さん演じるホレイショーが物語を語っていただけだったんじゃないだろうかと思ってしまうほどの迫力がありました

最後のシーンを語り終え、フォーティンブラスの号令で弔砲が打たれ、全てが終わった後舞台に残ったホレイショーが去っていくラストシーンまで、北村さんに目が奪われていました。

最後に、ちょっとだけ苦言を…

翻訳は、本当に細心の注意を払っていたみたいで、わかりにくい外来語が一切でてきませんでした。

例えば、レアティーズの得物を「細身の剣」と説明していました。(確か、元は、「レイピア」というフェンシングに使われるような剣だったと思います。)

が、実際のハムレットとの決闘は棒術でした(少なくとも剣には見えない)。あえてわかりやすい台詞であったが故に、余計に違和感を感じました。

これって、もしかして演出家が、外国人であるが故に演出方針と台詞の不整合が見逃されたのでしょうか?

ま、だからってレアティーズの得意なものが「棒」とするとそこでずっこけそうなので代案はないのですが…

 

 

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