遅ればせながら、映画「メッセージ」を見ました。原作短編小説は随分前に読んでいて、正直映画化といわれてピンとこなかったのですが、監督が最近話題になっている「ブレードランナー2049」と同じと知り、予習も兼ねてみました。原作短編小説の世界を壊さず、映像化されています。一方で、原作短編を読み返したくなるような解釈もされており、制作者が原作への理解と尊重を感じられる映画でした。
目次
今回は原作を読んでいたせいか楽しめたような気がします
この間見た「インフェルノ」が原作小説を読まずに見たせいかイマイチ楽しめなかったのですが、今回は原作を読んでいたおかげで楽しめたと思います。
といっても、映画を見るために原作を読んだというよりも元々好きなSF作家の小説が今回は映画化されたという経緯でした。以下のテッド・チャンの「あなたの人生の物語」という短編集の表題作です。
本屋で、「映画化決定!」みたいなPOPとともにこの本が、平積みされている時は実はあまり嬉しい気分にはなりませんでした。本は持っていたので、再度読み直したのですが、その気分は変わりませんでした。
という疑問がふつふつと湧いてきたからです。
地味かつ文学的なトリックが使われている原作小説
原作小説は、印象的なもので、僕の好きな作品のひとつです。テッド・チャンの作品をよく読むようになったきっかけになった作品です。
ここからは、ネタバレします。
この作品は、いわゆるファースト・コンタクトもので、突如飛来した宇宙船に乗り込んでいる宇宙人と以下にコミュニケーションを取るかという物語です。
主な登場人物は、二人の言語学者で主に女性の主人公が「ヘプタ・ボット(七本足)」と名付けられたその宇宙人の言語をなんとかコミュニケーションを取ろうとします。当初は、音声コミュニケーションを目指しますが、言語が複雑すぎて断念。彼らの文字ならば解読できるかもしれないということで、文字の解読にかかります。
かれらの文字は、難解ですが少しづつ解けてきます
そして、彼らが地球人とは全く異なる思考方法をもっていることがわかってきます。
例えば、代数幾何の知識を用いてコミュニケーションを取ろうとしていた数学者は、代数幾何の知識があまりないヘプタ・ボットが、微分が必要となるような難解な問題は容易に解けることがわかってきました
「フェルマーの最小時間原理」と呼ばれる原理です
そして、彼らの考え方は、物事の「時系列」や「順番」をほとんど意識しないのだということがわかってきます
その言語を学ぶうちに主人公である言語学者の考え方が少しづつ変容していく
といったあらすじなのですが、この小説のすごいところは全て現在形で書かれた文章そのものが、変容した主人公により記載されていることがわかってくることと、途中で彼女の娘の人生のシーンが順不同で差し込まれるのですが、その順不同の回想こそが、小説の題名である「あなたの人生の物語」であることがわかることなのです
地味な話に登場人物を増やし話を複雑化した映像化
上記の通り、文体や小説の構成そのものが話の中身と密接に関連していて(例えば、文章は全て現在形で書かれているなど)、映像化する際にその辺をどう処理するのかとても興味をもっていました。が、一方で大失敗する気がして結局劇場にいきませんでした。
地味な設定だとおもっていたのですが、映像化され見るとなかなか見ごたえのある映画になっていたなというのが、最後まで見た感想でした
もっと退屈な展開になることを予想していたので、そこは意外でした
監督のドゥニ・ヴィルヌーブの力による所も大きいのかもしれませんが、異星船に近づくための放射能等に配慮した複雑な入船手続きや、たくさんのスタッフ、機材の山は、SF感が満載で、「そうか小説でははしょられているけど、確かにこういうふうになるよな」と思わせるギミックが多数ありました。
7本足(ヘプタ・ボット)と呼ばれる異星人の造形も、名前から想像されるタコ型の宇宙人ですが、威圧感のある感じで、小説を読んでいる時に想像していたコミカルな感じがなく、映画の雰囲気にあっていました。
ちょっと不満が残った異星人の文字の描写
不満と書くとちょっと言いすぎですが、タコ型であるためか、異星人の文字が墨を吐くような感じで、◯に色々と枝がついているような文字を書くという描写になっているのは、原作とちょっと違いすぎていて戸惑いました
原作の描写は、漢字のように複数の線の組み合わせで記述される文字で、その文字の書き順がめちゃくちゃであることから異星人の考えたにたどり着くという描写があったので、そういう文字が出てくるとおもっていたのですが、あんなふうな一瞬で吹き付けられるような文字(というか、前衛書道家の書く◯みたいな絵)では、そのようなところに思い至らないとおもいました
ま、映画として異星人が字を書いているところを見せるというのは、絵的にはかなり退屈なものになるので、インパクト重視になったのは理解できるのですが
こういう話だったけ?
原作を読み終えた時の感想は、異星人との交流を行った言語学者が考え方が変わったという話だと思っていました
もう少しつっこむと、普通の人類のように物事を考えられなくなってしまったという異常さを感じる作品でした
が、映画ではまったく別の解釈がされていました。異星人との交流と言葉に触れることで、時間感覚がなくなり現実では未来に起こることを今知覚できるある意味超能力的なものが、主人公に身につくのです
正直、言葉を学ぶだけでここまで人の能力が変わるというのが、ちょっと映画的な脚色だなぁと思いました
原作にはない、中国軍による異星船への攻撃を回避する力がこの超能力てきなものに由来するのですが、思わず原作を再度読み直してしまいました
で、結論として…原作でも読みようによっては、主人公が未来を見れるようになったとも読めることに気づきました。単なる読解力不足だったのか?
ちなみに、映画の原題は「ARRIVAL」。異星人の到着だけではなく最後のラストシーンも暗示しているような言葉でこっちのほうが良い題名だとおもったのだが、なぜ邦題が「メッセージ」になったのか謎
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