今年の夏休みは少し遅めでしたが、思い切って青森へ旅に出かけることにしました。三沢市と青森市を巡る4泊5日の旅。どちらも初めて訪れる土地でしたが、たくさんの素敵な出会いと発見に恵まれました
目次
三沢での出会い
羽田から飛行機で向かった三沢空港は、想像以上にこじんまりとした可愛らしい空港でした。大きなりんごのモニュメントが出迎えてくれて、思わず写真を撮りたくなるような雰囲気。
ここから青森での冒険が始まるんだと、わくわくした気持ちになりました。
寺山ワールドに浸る
最初に訪れたのは、青森県立三沢市寺山修司記念館です。1997年に開館したこの記念館は、三沢市の南部、六川目地区にあります。寺山修司の生家があった場所から程近い、静かな田園地帯に佇んでいます。館内には映画「書を捨てよ、町へ出よう」や「空気女」で使われた貴重な小道具、寺山の詩作や戯曲の直筆原稿など、まさに寺山ワールドを体現した展示の数々が並んでいます。特に印象的だったのは、様々な机の引き出しの中に隠された作品の数々。まるで宝探しのように、寺山の創作の軌跡を追体験できる仕掛けが施されていました。
航空科学館は予想以上の広さと充実度!
その足で向かった青森県立三沢航空科学館は、1996年にオープンした日本の航空史を伝える貴重な施設です。三沢空港に隣接する広大な敷地には、実物の航空機や宇宙開発の展示が充実しており、特に実物大の航空機展示は圧巻でした。県立の博物館とは思えないほど展示の規模が大きく、年間10万人以上が訪れる三沢市の重要な観光スポットとなっています。
青森市も盛り沢山
八甲田山の記憶
三沢から青森市への移動途中、青森市八甲田山雪中行軍遭難資料館に立ち寄りました。
明治35年(1902年)に起きた旧陸軍第8師団の雪中行軍遭難事件を伝える施設です。この事件は199名もの将兵が犠牲となった日本の軍事史上最大の雪中遭難事故として知られ、1977年に公開された映画「八甲田山死の彷徨」でも広く知られることとなりました。
資料館では、生存者の証言や当時の装備品、詳細な記録写真などが展示されています。特に印象的だったのは、遭難将兵たちの生々しい証言や日記の数々。厳寒の中での彼らの苦闘が、まるで目の前で起きているかのように伝わってきました。
資料館の裏手には慰霊碑と遭難将兵の墓所があり、映画のロケ地としても使用されたこの場所で、静かに犠牲者への追悼の気持ちを捧げました。地元のガイドさんは、この悲劇を風化させることなく後世に伝えていくことの大切さを、静かな口調で語ってくれました。冬の厳しさと人間の限界に挑んだ将兵たちの物語は、現代を生きる私たちへの深い警鐘として心に刻まれています。
偶然にも訪れた時期が夏の終わりで、市街地から程遠くない場所にある資料館でしたが、遭難した場所もけして山奥深くというわけではないと伺いました。
冬になると猛吹雪に見舞われ、時として命の危険すらある山になるということで120年以上前の悲劇の記憶が確かに息づいているのを感じました。
何と言っても、以下の映画が印象的です。
港町・青森の魅力
青森市に着いてまず驚いたのは、駅と港の近さです。石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」の情景が目の前に広がっているような気分。夏の終わりの爽やかな潮風が心地よく感じられました。
三代丸山遺跡❣
特別史跡 三内丸山遺跡は、青森市の西部に位置し、1992年の発掘調査で発見された日本最大級の縄文時代集落跡です。約5500年前から1500年もの間、人々が定住していた大規模な集落遺跡で、2021年には「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産として世界文化遺産に登録されました。広大な敷地には、高さ15メートルの大型掘立柱建物跡や、様々な形式の竪穴住居が復元されています。遺跡に併設された「三内丸山遺跡センター」では、出土した土器や石器、漆塗りの櫛など、縄文人の高度な生活文化を物語る遺物を見ることができます。
行きのタクシーの運転手さんが、とても熱心に地元の魅力を教えてくれたのも嬉しい思い出です。特にお勧めされたサンフジりんごは、後日ふるさと納税で取り寄せてみましたが、確かに絶品でした。
贅沢な帰り道
帰りは思い切って新幹線のグランクラスに乗ることにしました。予約を取るために丁度①ヶ月前に予約をするなど苦労しましたが、その甲斐あって最高の3時間半を過ごすことができました。パーサーさんの丁寧なサービス、美味しい食事とお酒。まるで空の上の特等席にいるような気分で、青森旅行の素敵なフィナーレとなりました。
おわりに
広島在住の私にとって、青森はとても遠い場所。でも、この旅で出会った人々の温かさ、深い歴史、豊かな文化に触れて、また必ず訪れたいと思うようになりました。次は冬の津軽海峡を見に来てみたいな。そんな新しな旅の夢も膨らんでいます。
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