一人芝居の常識を覆した作品かもしれない。三谷さんがやるとこうなるのかと感じる。一人の女芸人の半生を描くと聞くともっとお涙頂戴的なつくりになるかと思ったが、笑いに満ちた舞台であった。
小道具使いも含めて、斬新な部分が多く、三谷さんの舞台の中でも、特異なものになったと思う。(最高傑作とまではいわない)
劇団 | PARCO劇場プロデュース | ||||
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題名 | なにわバタフライ | ||||
公演期間 | 2004/12/18~2005/02/13 | ||||
作 | 三谷幸喜 | ||||
出演 | 戸田恵子 | ||||
劇場 | PARCO劇場(渋谷) | ||||
観劇日 | 2005年1月15日(ソワレ) |
【ストーリー】
七歳のころから、芸事が好きだった父親に仕込まれ、まれな才能で芸人として過ごした女の一生。劇中では語られないが、ミヤコ蝶々の半生がベース。
【感想】
昔読んだ小説の書き方みたいな本(20年くらい前に読んだ本だ!)によれば、面白いストーリーの必須条件は、「主人公が物語を通じて成長しなければならない」というものだった。
結構、これはあたっていると思う。つまんないと思う芝居や映画では「結局、誰も成長してないじゃん」ということがよくあるから。特に一人芝居では、その傾向が強い。長い長いモノローグを聞かされた挙句に、結局何も起こらない舞台というのはきつい。おのず、一人芝居を見に行くときには、構えてしまう。
それは、三谷さんの舞台でも変わらなかったのだが、見事、良い方に裏切られた。
この舞台では、一人芝居でありながら、最後に見事主人公が成長を遂げている。(舞台の始まる前と終わったときで主人公が変わっている)まさか、最後まで来て、一人芝居が設定上も本当に一人芝居であるということが語られるとは思わなかった。そして、その一人芝居を通して、主人公が成長するという構造になっており、物語の王道としての面白さを作っている。
細かいところでは、演出上気に入ったところは、音響と小道具。
音響は、全て生音という贅沢さ、その音がたった二人の打楽器奏者(その一人はあの「オケピ」の時にオケピにいた小竹さん)によって出されているというシンプルさが非常に心地よかった。
人の半生のドラマという事もあり、場面はくるくる変わるのに、楽屋にしか見えない舞台装置が小さな工夫でその場面に見えてくる。全身鏡が病院のベットに、楽屋の鏡の上の照明が、電車のランプに、カレンダーが着物の帯に(これは笑ったが)、ウサギのぬいぐるみがリボンに….無理やり感もあるものの、その小道具使いはとても面白くて次は何が起こるのかとわくわくさせられた。一人芝居のたるさというものをこういった道具立てが払拭するのに一役も二役もかっていたように思う。
勿論、戸田恵子さんが素晴らしいと思った。一瞬たりとも途切れることなく続く緊張感。膨大な台詞量。七歳から50うん歳までを演じ分ける演技力。どれをとっても三谷さんの芝居になくてはならない女優さんなんだなぁとつくづく思いました。
あと、演出で一人芝居ならではとおもったのが、他の登場人物の大きさの表現。芸人界で大物の登場人物は本当に見上げるように大きな(ビックマックス(古!)を思い出しました)人物として描き、どんどん存在感がなくなっていく父親を手のひらサイズで表現するなんて他の芝居ではみたことのない表現。それも、一人芝居であるが故にできること。
三谷さんが一人芝居をするからには、一人芝居でしかできない事をやるんだということを実感した芝居。
逆に言えば、そうでなきゃ一人芝居をやっちゃいけないんだなぁと思った。
[…] 清角克由(2005/01/15) […]