目次
■人工知能は人類を滅ぼすのか
題名に惹かれて買いましたが結論、題名の問い「人工知能は人を滅ぼすのか」と言う問いには、この本は答えていませんでした。
ま、断言できる人はいないのだと思いますが
一方で、人工知能に至るまでのコンピュータ史の外観を知る為の入門書としては良い本だと思いました
■聖書とコンピュータの発展を重ね合わせた章立て構造は興味深いと思いました。
僕自身、クリスチャンではないものの聖書の物語にはある程度基礎知識があるので、そういった知識と比較しながら、コンピュータの、黎明期からの歴史を振り返るのは、興味深い展開でした
ちょっと、聖書の教義にたいして冒涜的所があったり、牽強付会気味の展開もありますが、チューリング、ジョブスやアランケイといったコンピュータ発展におけるスーパースターをモーゼなんかに引っ掛けるのは、オォとか思いました
そういった意味で、実は目次見たときに読み飛ばそうかなと思ったこれまでの歴史に関する部分の方が面白く読めました
■ 人工知能が、人類を超える叡智を極めた時、人類はどうなるのか。
逆に、これからを考える後半は少し期待外れというか何処かで読んだような言説が書かれているだけであまり目新しさがなかった気がします
キリストの最後の審判に模したエピローグでは、人類は原罪から解放され、幸福に人工知能と融合したり、芸術に勤しむユートピア的な未来像が提示されています。
もちろん、その前に、人間がこれから人工知能のどういう面に力を注ぐかということに未来像は関わるとして、人工知能兵器への警鐘も語られています。
が、結論としてのユートピアへの道に至るというところの論理展開がちょっと厳しいかなと思いました
結果的には両論併記で、どうなるかはこれからの我々の取り組み方次第ですと言った感じになっています。
シンギュラリティの向こうに何があるのか? 題名からそういったことへの何らかの解があるのでは?という期待には残念ながら答えてもらえなかった印象です。
■キリスト教の歴史に模したこの試みの効果が気になる
クリスチャンとか、それこそバリバリの原理主義者みたいな人がこの本を読みとどういう感想を持つのか気になります
日本人の書いた日本の書籍ですしそういう機会はあまりおとずれないかもしれないのですが。
[…] [書評]児玉 哲彦「人工知能は私たちを滅ぼすのか」 […]