私は、子どもの頃の愛読雑誌に学研社の「ムー」がありました。
古代史等についての様々な言説が登場する雑誌で、その中で頻繁に登場していた日本のミステリースポットの一つに青森県のキリストの墓があります。そう、あのキリスト教のキリストの墓です
そこへにこの度念願叶って訪問しました。その記録です
目次
道のり
とはいえ、青森県。しかも、場所は新郷村にあります。
公共交通機関でいくとなれば、最寄りの駅からバスに乗り換え、さらに徒歩で移動する必要があるため、時間と労力を要します。そのため、特に観光シーズン外ではバスの便数も少ないため、移動のスケジュール調整が難しくなりそうでした
数年前までは、ペーパードライバーだった私には、それだけでもかなりハードルが高かったです。
数年前に生活が激変した関係で普段の生活に自動車の運転ができるようになり、今回はレンタカーの利用で、現地に行くことができました
今回は、宿を取った三沢市から約1時間ほどのドライブでたどり着くことができました
ちなみに、けして知る人ぞ知るという感じの場所ではなく車で移動中も「キリストの墓まで◯◯Km」的な道路標識をかなり頻繁にみました
あとでも触れますが、新郷村の観光名所としてのまちおこしの一貫を担っている様子で、いろいろ力が入っています
以外にポップな看板に出迎えられます😂
ちなみに、このあたりはキリストの墓を中心にキリストの里公園という形で整備されており、駐車場(土産物屋の「キリストっぷ」)からキリストの墓、伝承館まで遊歩道でつながっています。
そもそも、なぜ青森にキリストの墓が?
以下は私の解釈です。
戦前に存在した新興宗教に端を発します。その宗教の基礎となった「竹内文書」という文書に記載されたキリスト教の創始者であるイエス・キリストについての新説的な解説によれば、イエス・キリストはその教えを広めるようになる前の10年ほどの詳細な不明の時期に日本で日本の天皇制や思想を学び、エルサレムに戻り後にキリスト教と呼ばれる教えを広めたのだそうです。
そして、ユダによる裏切りによるキリストの処刑も、弟であるイスキリが身代わりになり、イエス本人は再び日本にわたって、青森で100歳以上の長寿を遂げたという記述があります
この「竹内文書」という文書そのものは、もともと南朝系の歴史を記述した文書だったものが、酒井勝軍さんというキリスト教徒の軍人が関わったことで古代史についての記述が多く「発見」され、昭和10年にこのキリストの墓が「発見」されると、文書の中からもキリストの遺言が「発見」されるという形でこの墓と密接に紐づいています
なお、墓のある村は今は新郷村という名前ですが、旧来は「戸来村(へらいむら)」という名前で、こちらも「ヘブライ」が訛ったものと語られています。
僕自身は、ロマンを感じるものの、徹頭徹尾この墓を信じているというわけではありませんが、若い頃に感じたロマンを再確認するためにも是非とも一度訪れておきたい場所でした
キリストの墓の全容
こちらにキリストの墓の由来が記載されていて、私のような事前知識がない人でも、わかるようになっています
由来にも記載されていますが、キリストの墓とキリストの弟(イスキリ)の墓が並んであります
お墓自体は全く同じ造作で作られており、説明を見ないとどちらがどちらかわかりません
こちらがキリストの墓です。十字架がたっていますが、勿論、昭和の初めに発見されたときは十字架が立っていたわけでは有りません。丸い塚だったとあります
こちらが弟のイスキリの墓です。写真みただけではまったく区別がつきません。
仲良く2つ並んで立っています。その間には、イスラエルから送られたという石碑がおいてあります(イスラエルとの関わりは後述)
伝承館で詳しい説明&お土産!
実は、今回旅行を企画して初めて知ったのですが、キリストの墓の周辺にはその由来を飾った伝承館というものがあります
小さな建物ですが、眼の前にはなぜかピラミッドが設置されています
赤い枠で囲んでいる所、見えにくいですが(ちょっと近づいて取るのがはばかられたので)、絵馬が飾ってあります。
ピラミッド内に絵馬がぶら下がっている場所は、世界中でここだけだと思います😂
中は、1階のみのぐるっと回れるような施設です。壁にキリストの墓についての様々な説明を読むことができます
私として興味深かったのは、キリストの墓が「発見」された経緯を示す、以下の展示でした
こちらに発見の経緯が以下のように記されています
「キリストの墓の発見
1934(昭和9)年、青森県出身の日本画家・佐藤善次郎(後に竹内巨麿と改名)が竹内文書の調査を終え、一度この地を離れましたが、翌1935(昭和10)年、竹内文書に興味を持ったまま再び新郷村を訪れました。佐藤氏は、訪問中に当地の村人から「この村にキリストの墓がある」という伝えがあることを聞き、驚きながらもその場所に案内されました。
佐藤氏が示されたのは、峠の高台にある二つの丸い塚。これを見た佐藤氏は「やはりここだ!これだ!」と叫び、その後、二つの塚がキリストの墓とその家族の墓であることを村人に説明しました。
以来、この地は「キリストの墓」として多くの信者や観光客が訪れる場所となり、今でもこの地は大切に保存されています。」
シルクロードは、多分紀元前からあったはずですし、縄文時代や弥生時代の日本人などが日本海を船で貿易していたらしい遺跡は色々ありますし、最初は「どうやって来たんだよ』と思ってましたが、あるかもとも思わせます….😓
まさかのイスラエル公認
先程のイエスとイスキリ(イエスの弟)のお墓の間にあった石版にもきさいされていましたが、この地にはイスラエルの大使も訪れたことがあるそうです
どのような心境でこの地を訪れたのかちょっと聞いてみたい気もします。
お土産も充実
ちなみに、私がこの場所を知ったきっかけになった雑誌「ムー」は今でもこの地への縁は深いらしく、動画も雑誌ムーの編集長がこの地について語っているものを見ることができました
さらに、入口の横には多数のお土産が売ってます。
[限定]とか書いてありますが、当然にこの地以外で売っているとは到底思えないものばかりで、思わずいろいろ買ってしまいました😂更に、駐車場の脇には「キリストっぷ」というおみやげ物専門の売店もあります
こちらは、ちょっと伝承館とは異なるラインナップのお土産があり必見です🤣
とまぁ、キリストの伝説が何故か青森の田舎町(村)に残る不思議な観光スポット、もし興味があったら伺ってみてはいかがでしょうか?
信じるか信じないかは、アタナ次第です(一度言ってみたっかった😓)
参考文献
上記、眉唾だなぁと思う方、以下の本は竹内文書を初めとするいわゆる偽書についてとても冷静な分析があって面白いです。
いや、もっとそのトンデモな部分を知りたいという方は以下かな。
こちらを読むと、モーゼの墓とか釈迦の墓も日本にあり〼….
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