[劇評]新宿梁山泊「千年の孤独」@紀伊国屋ホール

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川向こう、アゲハ、蝶、虎、火事、ガラスケースといった言葉やものが、実際に何を示すのかを考えさせられる舞台です。脚本自体今年アカデミー賞を受賞した脚本家鄭義信が、この劇団に在籍時に書いたものでもあり、非常に多様な解釈を可能にするよくできた脚本なので、これが10年の月日がたってどのように上演されるのか非常に楽しみにして見に行きました。

劇団 新宿梁山泊
題名 千年の孤独
公演期間 1999/07/11~1999/07/22
鄭義信 演出 金守珍
出演 近藤結宥花、中島忍、金守珍、村松恭子、小檜山洋一、澤出和弘、野田英樹、伊藤彰、渡会久美子、原昇、大貫誉、広島桂、伊東勝代、もりちえ、岩村和子、井上直美、李秀
劇場 紀伊国屋ホール(新宿)
観劇日 1999年7月20日

新宿梁山泊特有のぐいぐい押す演出が、小気味よく決まっていき、芝居のリズムが非常に心地良い芝居でした。若手の役者を多用した配役も、成功しているといえると思います。

ただ、少しだけきになった所がありました。

音楽の選曲が、非常に類型的で気になりました。芝居の雰囲気に合わないとまでは、いいませんが、とりあえず場面場面の雰囲気に合わせたという感が否めず芝居全体の統一感を感じることができませんでした。最後まで芝居への集中を邪魔されました(単に聞き覚えのある曲が多かっただけかもしれませんが)。

演出も、非常にテンポが良いのですが、個々のシーンのぶつ切り感がどうしても気になりました。見ていて感情の起伏というかつながりを追うのが非常に難しかった気がします。特にアゲハとヒカルがお互いを分かり合う部分とかは、めちゃくちゃ唐突に感じるのは脚本のせいばかりとは思えませんでした。

これも演出だと想うのですが、初演時万歳婆と配役が女だった役が、今回万歳爺と男になっているのは、どうしても納得できない部分でした。特に、ラストシーン近くで、露、アゲハ、婆と三人の「女性」がその女性としての本性というか男を慕う気持ちを吐露しているシーンにもう一人舞台上にいるのが、(かつ「マンセー」としか云わないとはいえ科白がある)男性か女性かは脚本上非常に重要なポイントのような気がするのですが、何故男性になってしまったかは非常に気になります。(劇団事情だとしても、男性が老婆を演じることはあまり無理がない気がするのですが)

いかん、誉めている部分より貶している部分の方が多い。個人的には、見にいってよかったと想っています。ほんとです。上記の気になった部分も芝居全体から見ると些細な部分だと想いますし、アングラな芝居好きの僕としては、時間さえあればもう一度や二度見に行きたい芝居です(仕事がなければねぇはぁ(ため息))

 

追記(2016/05/29)

今回、niftyのホームページからブログに過去の劇評を移管する作業をしているなかで、以下のページを知りました。

金守珍さんが、鄭義信さんが劇団脱退後も芝居を無断上演してきたことに対しての著作権侵害の裁判の記録です。

この裁判のきっかけになった一つの事件は、この1999年版「千年の孤独」における万歳婆を万歳爺に改変したことであるということでした。当時の僕が感じた違和感はやはり感じて当たり前だったのだなと思いました。(追記 以前の文章は改変を加えていません。万歳婆の下りのみ文字色を変えました)

鄭義信と新宿梁山泊 --戯曲「それからの夏」「人魚伝説」著作権侵害事件--

 

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