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死刑執行は、法相として粛々で執行すべきだ。

宮崎勤死刑囚の死刑執行で俄かに死刑執行についての議論が高まっているようです。

「【産経抄】6月18日」

どうにも、死刑の執行数が、歴代法相の中で1番だとか、2ヶ月1回の割りで執行されているとかということが話題になっているのですが、それと死刑廃止論者の言っている事がいまいち理解できない。

亀井静香議員などは鳩山法相のことを「法相の資格もなければ、人間の資格もない」とか言ったらしいが、死刑執行をしないほうが、よっぽど行政の法務大臣としての資格がないということにならないだろうか?

子供の時にならったはずだが、日本は三権分立を標榜している国である。立法を国会が行い、その法律に基づいて司法が裁判し、行政がその刑の執行をするという役割分担のはずだ。(勿論、行政の執行について文句があれば、裁判に訴え出るという行政訴訟とかもあるわけだが、いずれにしても立法がその基本になるはずだ)

今、日本の法律(刑法)には、死刑という量刑が規定してあり、司法はその法律に照らして、死刑相当の罪を犯していると判断した上で死刑判決をしている。勿論審理の妥当性など冤罪の可能性が否定できない件については、真っ当に再審請求等を行った上で司法の再判断に委ねるというのは当然だろう。

しかし、法相の職責にあるものが、個人的な心情や推量で死刑の執行をしないことの方が、職務怠慢であろう。

亀井静香議員、加藤紘一議員、福島瑞穂議員が「死刑廃止を推進する議員連盟」を作って、死刑廃止を目指すのを止めるつもりはない。きっちりと議論をし尽くして立法府として、死刑を廃止にすれば(刑法を改訂すれば)、司法も当然それに従い裁判をするし、行政もそれに従うだろう。しかし、死刑が執行されるたびや、裁判の結果に詮索するのは間違っていると思う。

産経抄の筆者の言うように出て行けとまで言うのは言いすぎだと思うが(これが、マスコミの一翼を担う大新聞の記事として配信されることにおどろくが)、死刑執行反対論者に対して、「なんか違うんじゃない?」といいたい気持ちにはなる。

かくいう私は、死刑制度の存続は賛成派です。

死刑制度に犯罪抑止効果があるという神話を信じているわけでもありませんし、死刑になりたいからと言う理由で犯罪を犯す人がいるのも承知のうえです。(そんな人は、死刑制度がなくてもなんらかの犯罪を犯すことでしょう。極言すれば、死刑制度は彼らの言い訳にすぎないと思います)

罪の無い一般人の殺害という一事をもってしても、その被害者の感情等を考えたら死刑制度の廃止を支持することはできません。最近多発している凶悪な犯罪を見ていると(統計的に凶悪な犯罪が増えているわけではないみたいですが)、特にそう思います。

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