最近、興味をもっているAIと昔、このブログでも記事にしたことがある「ベーシック・インカム」。その二つを取り扱った本ということで読みました。AI,ベーシック・インカムは別のイシューと思っていましたが、そうでないことがわかりました。そして、「不可能」に思える政策は、あくまでも錯覚であるとする本書の主張は、やはり検討に値するものと感じました。
目次
再び脚光を浴びるベーシック・インカム
ベーシック・インカムについては、数年前に以下のようなエントリーを書いたことがある。当時は、弾子飼さんがベーシック・インカムを推していて、その論を読んで、結構いい政策じゃないかと思って書きました。
と宣言してもいいような気がする。http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50907051.html「ベーシック・インカムに賛成するのに十分なたった一つの理由」かなり、旧聞に属するが、上記の小飼氏を初めとするベーシックインカム賛成論はそれなりに説得力がある気がします。ただ、資本主義の考えを引きずる自民党、民主党にこの政策を打ち出す勇気はないだろう。私も、バリバリの保守派だが、この政策を政策公約に入れ選挙を戦うことができる政党があるとすれば、共産党しかないのではないか(って、詳しく共産党を研究したことはない... ベーシックインカムを政策公約にあげるなら、共産党に投票する。 - 演劇とかの感想文ブログ |
上記の記事は、月に5万円/一人のベーシック・インカムを仮定しています。
本書は、古くから(上記の記事だって10年前に書いた記事だ!)、話があったベーシック・インカムの議論を、昨今のAIの進展とあいまって議論している書籍です。
ベーシック・インカムは、人を怠惰にするのか?
本書は、ベーシック・インカムの議論について、財源論ではなく、効用から問いています。人の勤労意欲を削ぎ、貧困の解消につながらないという批判への数値と実証に基づいた効用です。
貧乏人はお金の扱いが下手だ、という見方は広く浸透しており、自明のことのようにも思える。そもそも、お金の使い方がうまければ、貧乏になるはずがない。〈中略〉その下敷きとなっているメッセージは明らかだ。すなわち、フリーマネーは人を怠惰にする。 だが、そうではないという証拠が揃ってる。
このような文章の後に続く事例はいずれも、先入観を覆すものばかりです。例えば、以下のようなものが上がっています。
リベリアで、最下層の人々に二〇〇ドルを与える実験が行われた。アルコール中毒者、麻薬中毒者、軽犯罪者がスラムから集められた。三年後、彼らはそのお金を何に使っていただろう? 食料、衣服、内服薬、小規模ビジネスだ。「この男たちがフリーマネーを無駄に使わないのだとしたら」、研究者の一人は首をかしげた。「いったいだれが無駄に使うだろう」
先入観に囚われていた私達の社会は、貧困にあえぐ人たちを選別し、指導し、監視するために多大な経費をかけている。その価値があるのかないのかわからなくなる話だ。
貧困が知能に及ぼす影響は徹夜やアルコール依存症に匹敵!?
人は愚かだから、貧困になるのか、貧困だから愚かになるのか?この本は後者だと指摘します。
新型のコンピュータに、一〇の重いプログラムを並行処理させることを想像してみよう。動きはだんだん遅くなり、エラーが発生し、ついにはフリーズしてしまう。貧しい人々の状況もそれによく似ている。彼らが愚かな判断をするのは、愚かだからではない。愚かな判断に追い込まれる環境で暮らしているからである。
わかりやすい比喩だと思いました。貧困の人にお金をあげるだけで、貧困問題は解消に向かっていくのです。効果をあげるために、人手(≒コスト)をかけるより、そのコストさえも配った方が効果が高そうです。
また、社会の構成員の知能が向上することはけして、その人だけにとって利益があるわけではありません。社会全体にその利益は還元されていくのです。
誰に配るか?それを選別するためにコストをかけるのではなく、 全員に配ってしまおうというのが本書の主張です(というか、ベーシック・インカムとはそういうもの)
我々は本当はもう、働く必要が無いほど豊かになっているはずなのです。
なぜか、進歩するに連れて長くなる労働時間
本書は、海外の著者による本だが、今の安倍政権下で言わている「働き方改革」なんて言葉が著者に聞こえているのではないかと思えるほど、現在の働き方についての示唆に富む話題が多い。かつて、人類は確かに労働時間を短くなるはずだと予測していた。本書によれば、以下のとおりだ。
産業革命によってもたらされた繁栄は、1850年頃からは下級階層にも、浸透し始めた。そして、富が時間を生んだ。1855年、オーストラリアのメルボルンの石屋が、他に先駆けて、1日8時間労働を保証した。19世紀末には、一部の国の労働時間はすでに週60時間に下がっていた。ノーベル文学賞を受賞した劇作家のジョージ・バーナード・ショーは、1900年に、この調子でいくと2000年の労働時間は週2時間になるだろう、と予測した
劇作家のようなある意味素人だけではない、やがて政治家もそれを確信していた。
第二次世界大戦後も、余暇は着実に増え続けた。1956年、リチャード・ニクソン副大統領は、「そう遠くない未来に」週4日の労働で足りる日が来る。と国民に約束した。アメリカは「繁栄の安定期」に入っており、労働時間の短縮は必然だと彼は確信していた。
最後には、かの有名な経営学者やシンクタンクさえそれを予言していた。
ケインズの大胆な予測(注:2030年に週15時間労働になるという予想)が、当たり前のことと見なされるようになった。1960年代半ばの上院委員会の報告書は、2000年までに週の労働時間はわずか一四時間になり、少なくとも年に七週間休めるようになる、と推定した。影響力の大きいシンクタンク、ランド研究所は、いずれ人口のわずか2パーセントだけで、社会に必要なすべてを生み出せるようになる、と予測した(10)。働くことはじきにエリートの特権になる、というのだ
しかし、現実は労働時間は長時間をしていくばかりだ。何故か。
著者は、くだらない事に我々は時間を使いすぎている。くだらない事をすることが、高給を稼ぐ糧になっているといいます。
価値を産む人が虐げられ、価値を産まない人が優遇される世界
本書では、端的に以下のような表現で現状を表しています。
「ぼくたち世代の優秀な人の頭にあるのは、世間の人にいかに広告をクリックさせるかということだけだ」。かつて数学の天才と賞賛されたある若者が、最近、フェイスブックでこう嘆いた。
別に、ネットの世界の人だけを揶揄しているわけではありません。高給取りの代名詞金融機関も、本書によれば価値を生み出すのではなく、ただ移転させているだけなのです。
奇妙なことに、最も高額の給料を得ているのは、富を移転するだけで、有形の価値をほとんど生み出さない職業の人々だ。実に不思議で、逆説的な状況である。社会の繁栄を支えている教師や警察官や看護師が安月給に耐えているのに、社会にとって重要でも必要でもなく、破壊的ですらある富の移転者が富み栄えるというようなことが、なぜ起こり得るのだろう?
本書にはとてもわかりやすい対比となる事例がのっています。ゴミ回収者と銀行員、その各々がストライキをしたとき何が起こったか。結論から言えば、たった7日間で市民生活が危機的状況に陥ったゴミ回収者のストライキに対して、銀行員のストライキはそれが1ヶ月にわたったにも関わらず何もおこらなかったのです。
優秀な人材が、本当に価値を生み出す職業につかず、価値を回すだけで、場合によっては毀損する職業につく現状、我々を貧しくし、そして格差を広げていると著者は語ります。
不可能を可能にするために必要なこと
正直、それでもベーシック・インカムの実現には不可能事が多い気がします。
この本は、そう感じる読者を説得するための事例が後半を占めており、それこそが本書の真骨頂です。
この本で提案したのは、大きな路線変更だ。奴隷制度の廃止、女性の解放も、唱えられた当初は、正気の沙汰とは考えられていなかった。そうした「大きな政治」を左派は思い出し、右派も同調する変革へと進むべきだ。
この中で語られるのは、「オヴァートンの窓」と呼ばれれる概念だ。あらゆる政策は、容認可能な範囲があり、その範囲に収まらない政策は、メディアを始めとした様々なパッシングを受ける。ただ、その「オヴァートンの窓」は動くという。
そのための古典的な戦略は、非常にショッキングで破壊的なアイデアを公表して、それ以外のアイデアを、比較的穏当で、まともに見えるようにすることだ。つまり、急進的なものを穏当に見せるには、急進性の枠を広げれば良いのである。
今、この枠は大きく「右より」に動き始めている。ドナルド・トランプに代表されるような右派が、ショッキングな程「右より」の発言を繰り返すことにより、この窓が右によっているのだ。
しかし、同じことは「左に」よせることもできるのだ。
著者は、こういう。
この3年間、ユニバーサル・ベーシックインカム、労働時間の短縮、貧困の撲滅について訴えてきたが、幾度となく、非現実的だ、負担が大きすぎる批判され、あるいは露骨に無視された。
少々時間がかかったが、その「非現実的だ」という批判が、わたしの理論の欠陥とはほぼ無関係であることに気づいた。「非現実的」というのはつまり、「現状を変えるつもりはない」という気持ちを手短に表現しただけなのだ。
そのような人に対して、我々はできることがある。そして、著者は思い出そうと言ってくれている。
かつて、奴隷制度の廃止、女性の選挙権、同性婚の容認を求めた人々が狂人と見なされたことを。だがそれは、彼らが正しかったことを歴史が証明するまでの話だ